この記事の目次
進撃の巨人1話『二千年後の君へ』のあらすじ
エレンが巨大樹の下で目を覚ます。
調査兵団団長のキース・シャーディスは壁外調査で「何の成果も得られませんでした」と叫ぶ。
超大型巨人が襲来し、人類を守る壁「ウォール・マリア」が破られる。
進撃の巨人1話『二千年後の君へ』の場所
【時期】845年(時系列)
【場所】パラディ島シガンシナ区
進撃の巨人1話『二千年後の君へ』で発生した伏線・謎
(1巻1話)
A始祖ユミルの「自由になりたい」という思いが二千年後のエレン・ミカサに届き、ユミルの解放・巨人の力の消滅につながる
(30巻122話 34巻139話)
(1巻1話)
Aエレンとミカサが見た「長い夢」の中で大人のミカサが言っている。1話エレンと逆にミカサが涙を流す。1話エレンはこの成人・短髪ミカサの記憶から「お前髪が伸びてないか?」と発言。
(34巻138話)
(1巻1話)
A「進撃の巨人」世界の真相が発覚。壁外人類は滅んでいなかった。グリシャは壁の外から来たエルディア人で、エルディア復権派としての使命を背負う。「進撃の巨人」を継承していた。
(21巻85話)
(1巻1話)
Aウォール・マリア近くまで来てから巨人化したため、足跡が一歩分だった。出現時も、地響きがしないのはその場で巨人化したため。
(24巻96話)
(1巻1話)
A調査兵団の団長は、後に訓練兵団の教官になるキース・シャーディス
(18巻71話)
A調査兵団の次期団長エルヴィン・スミス(戦闘用意!!の人)
(3巻特別編)
残された謎
(1巻1話)
Aアルミン発言の直後に超大型巨人襲来。アルミンの予言が当たった形に。
(アルミン・アルレルト)
進撃の巨人1話『二千年後の君へ』の表現・対比
(1巻1話)
2名もなき少年少女は、第57回壁外調査から帰ってくる調査兵団を、輝く瞳で見る。エレンは少年の目を直視できず、目をそらす。
(7巻30話)
進撃の巨人1話『二千年後の君へ』の考察・解説
進撃の巨人1話『二千年後の君へ』の考察・解説動画
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サブタイトル『二千年後の君へ』の意味
1話の『二千年後の君へ』の意味は始祖ユミルからミカサ(とエレン)への願いです。
122話「二千年前の君から」と対比しています。
1話『二千年後の君へ』と122話・139話の関係
エレンはユミルに対して「お前はずっと苦しんでいた、2000年前から誰かを待っていたんだろう」と言っています。つまり「二千年年後の君へ」は「エレンへ」であり、「二千年前の君から」は、「ユミルから」の物語だということです。ユミルがエレンを導いた物語と読み解くことができます。
しかし、最終話の139話でミカサが「あなただったのね、ユミル」と言っています。ミカサがユミルに願いを託したと後に明らかになりました。ミカサの行動には、エレンも必要です。ユミルは二千年待った結果、「ミカサとエレンの二人の最後」をその目で見たのです。
13ページ目の謎
1巻にはページ数が無いのですが、なぜか「13」ページ目だけには数字が描かれています。進撃の巨人においては13という数字がたびたび出てきます。巨人の寿命は13年ですし、エルヴィンは13代目の団長です。
グリシャと地下室
エレンに対してグリシャが「帰ってきたらずっと秘密にしていた地下室を見せてやろう」と言っていて、鍵を見せているシーン。この時グリシャは、大人エレンの方を見ていたと、進撃の巨人30巻121話で判明します。
845は年号
「845」という数字は年号です。2話目で850という数字が出てきて、その時に5年前の惨劇と言っているので、年数が5年経ったとわかります。
ちなみに「845」という数字の前後で時代が違うとか、壁のない世界があるという考察がありますが、私は違うと思います。アニメでは「845年」と描かれていますし、明確に壁があります。進撃の巨人は諫山先生がアニメのチェックもやっていますし、作者公認です。
キース・シャーディス初登場
「何の成果も得られませんでした」といった髪の毛がある男が、キース・シャーディスです。キースは調査兵団の元12代目団長です。エルヴィンの有能さと、自分の無能さを知って団長交代したという過去があります。
進撃の巨人のテーマの一つ「地獄の自由と、幸福の奴隷」
諫山先生のブログの中に「奴隷の幸福」と「地獄の自由」という言葉があります。
この映画特電で感銘を受けたのは、西洋諸国に根付く考え、
神、秩序、体勢、に従う事への恐怖や抵抗感、
人間の根源的な自由意志、
「奴隷の幸福か、地獄の自由か」ってヤツです、前者が、現状に満足して壁の中で日常を過ごす人々、
後者が、現状に不満を懐き命を懸けて自由を求める人々、
かっこいいのは言うまでも無く後者
一見逆に思えますよね。自由が幸せで奴隷は地獄だと。
エレンがハンネスさんに「一生壁の中から出られなくても、飯食って寝てりゃ生きていけるよ、でもそれじゃまるで家畜じゃないか」と言っています。
これが「奴隷の幸福」で、現状に満足して壁の中で日常を過ごす人々のことを指しています。最低限の衣食住もあるし、自分の頭で考えなくても生きてはいける。それって奴隷ではあるが、幸福です。
一方で「地獄の自由」という考えもあります。現状に不満を抱き、命を懸けて自由を求める人々。主人公エレンもこちら側です。自由を求めるというのは、一見幸福に結びつきそうですが、実は地獄です。外敵がいるし、衣食住を自分の手に入れなければいけない、リスクも伴う。自由には地獄がセットでついてくるのです。
エレン自身も後に「自由を求めて、地獄に片足を突っ込んでいる」「自分で自分の背中を押す奴の見る地獄は別だ」と発言をしています。
これを読むと、本当に今このままでいいの?奴隷の幸福では?安定して暮らせているし、最低限の衣食住はあるけれども、自由はないよね…と考えさせられます。現代日本を生きる我々が、無意識に感じている部分に響いた結果人気が出たという一面もあるのではないでしょうか。
第1話と新人漫画家「諫山創」
進撃の巨人といえば、超大型巨人のショットが印象的ですが、このショットはどういう風にして生まれたのか?
諫山先生は新人漫画家です。デビュー作ということは、人に注目もされないし、見向きもされないで打ち切りで終わる可能性がある。そこでとった戦略として、文字を読んでもらうことは諦めて、パラパラ雑誌をめくった時に「なんだこのページは!」と読者にインパクトを与えることを目的に、超大型巨人の登場シーンを書いたそうです。この登場シーン、この見開きに全てを賭けたと、諫山先生は語っています。
実際、最初の原稿が完成した後に満足できずに書き直したと言っていて、元の構図は巨人を上空から見下ろすような構図だったらしいです。今のこの「人間側から見た巨人の大きさ」を感じられるようなインパクトのある見開きとは違います。この作戦というのが当たったのです。
第1話のエレンと諫山先生
漫画家の状況として、1話目の人気が最下位なら打ち切りと、編集者のバックさんがインタビューで言っていました。1話目というのは興味を持ってもらって、続きを見たいと思ってもらわなければいけない、そういう意味で、執念がこもった1話目だったのです。
これ、諫山先生の現実の状況も実は関係していて、新人漫画家で上京してきたばかりで、家賃6万円の家にずっと住んでいたらしいです。連載となるとアシスタントを雇わないといけないし、作業ができるような仕事場にしないといけないので、広い家に移り住んだそうです。
連載を続けられなかったら、家賃を払えないという死活問題もあって、自身が追い込まれた状況というのが、巨人に追い込まれた漫画内のエレンたち人類と重なった状況です。
超大型巨人は神様
諫山先生のブログの中で面白い表現があって、巨人のことを神様って言ってます。
超大型巨人は、人間にとっての神に見えない。そして、神を見上げる主人公たちは、自我に目覚めたアダム・サタン。
この漫画で言う神様ってのは巨人のことです、
超大型巨人のキャラデザは、結構時間をかけました、あの見開きは
一回出来た原稿を没にして、書き直したぐらいです、他のページも
がんばれよ!っつー話ですなんですが、超大型巨人だけは他と同等の
扱いはできなかった、
何故なら神に見えなければいけなかったからです、主人公や、調査兵団は、自我に目覚めたアダム・サタンです、
巨人と言う絶対的な支配者、神に従わない人達です
幻の1話目
連載コンペに出された1話目は、現在の3・4話目です。
本誌の1話目は、新たに書き直されたものです。
進撃の巨人のファンブック「Outside」で読めるので、進撃の巨人ファンの方なら読んでみてください。
進撃の巨人1話『二千年後の君へ』の感想・ネタバレ
進撃の巨人1話『二千年後の君へ』の感想動画
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超大型巨人の顔と「巨人」の呼び方
最初に出てきた謎の巨人、あえて顔を描いていなかったです。さらには、ハンネスさんが語るこちらの巨人も、後姿だけが描かれていた。これなぜかというと、見開きでインパクトを持たせるために、あえて今まで巨人の顔を描いていなかったのでしょう。このページに全てを賭けたという感じです。
俯瞰の絵もありましたが、建物と壁、これを悠々と乗り越えてくる超大型巨人を目立たせるために全てが仕込まれていました。巨人の呼び方ですが、実は巨人という言葉が出るのは1話のラストです。ずっと目標とか、奴らという呼び方がされていて、意図的に巨人というワードを避けられていました。そんな中で1話のラスト、エレンが「奴だ、巨人だ」と言った、このページで初めて巨人という単語が出てきます。
超大型巨人の印象的な姿、巨人という単語の大きさ、全てはこのページにたどり着くために諫山先生が、仕込んだと。溜めて溜めて溜めて爆発!というのがこの1ページに込められています。
その観点で見ると、巨人の顔を諫山先生が大事にしていたと改めて感じます。一巻のこの表紙、よーく見るとエレンの顔写っていないです。超大型巨人の顔だけが印象的で、普通であれば主人公エレンもこっちを向いているはずですが、あえてエレンの顔を描いていない。いかに、超大型巨人の顔で印象付けるかが勝負どころでした。
第1話の伏線の凄さ
進撃といえば伏線。有名なところで言うと、超大型巨人が出てきたこのシーンです。謎の足跡がありました。突然出てきたという意味ですが、わざわざ一歩分の足跡を残しておくことで、何か特別なこと起きてますよ!と印象付けたのでしょう。
次に、いってらっしゃいエレン。10年以上も我々を悩ませた伏線ですが「いってらっしゃい」「長い夢」「髪の毛」「涙」とたくさんあります。
「いってらっしゃい、エレン」のページにたどり着くまでも、まず超大型巨人の出現という予告から見せて、調査兵団の戦い、その後にやっと「いってらっしゃい、エレン」に入っていきます。なので、やっぱ最初に迫力を担保した上で、物語の本筋に入っていくというところが、1話目としては戦略的にやられています。
ミカサの「いってらっしゃい」の意味
この「いってらっしゃい」の意味ですが、ミカサがよく言う「帰ってきて」の対義語、これがポイントです。ミカサはエレンに助けられて一緒に暮らしていたわけですが、そこの家にミカサとしては「帰ってきてほしい」「こうあってほしい」というのがありました。
ただ、それを乗り越えて、エレン自身の選択を尊重する。つまり、「相手が相手らしくいられるように…」を選んだ結果、今までの「帰ってきて」ではなく「いってらっしゃい」に変わったということです。
この「いってらっしゃい」という言葉は、私たちの家というのが、前提としてあります。そんな意味でも、心が通っているいい言葉です。
ミカサが送り出すことによって、エレンは自由になってもいい、縛られなくていい。これは、ミカサ自身の解放にもつながっています。それが「いってらっしゃい、エレン」のシーンだったのです。
巨大樹と道
巨大樹ですが、枝が9本に分かれています。9つの巨人を元々考えていたのでしょう。
この巨大樹は、完結編前編のエンディング「UNDER THE TREE」の動画でも話したのですが、道とも重なります。
グリシャの伏線
今見ると、セリフの「…」が多いのが気になります。この先で、大人エレンから、干渉を受けていたということです。伏線は過去の解説動画でも語っているので見てみてください。
キャラ紹介の上手さ
ミカサのギャグシーン、これ今だとないかなーという結構ストレートなギャグです。ただのギャグですが、ミカサという人物が圧倒的な強さを持つアッカーマンだと示しています。
さらには、この少年たちがミカサを見て逃げ出すところも、今と少しギャグのテイスト違ういます。ただ、直接的なギャグに見せかけておいて、ミカサがシンプルに喧嘩が強いというところが実は隠されています。
アルミンは「どうした異端者」と呼ばれていました。まさか最初のページが、異端者だった!というのが読み返しで面白かった。
普通じゃないエレンという人物を描いた後に、この友達たるアルミンも普通じゃない。手を差し伸べられた時に一人で立とうとする、ここが良い。肉体的ではない強さ、精神的な強さを感じさせます。
エレン、ミカサ、アルミンと3人の紹介が済んだところで、こんな感じで3人を揃えて描いています。思考するアルミンと、猪突猛進のエレン、それを止めようとするミカサという、それぞれの人物の描き分けというのが、この1ページで描かれていて、新人漫画家ながら上手いです。
アルミンのセリフ
アルミンのセリフ「100年壁が壊されなかったからといって、今日壊されない保証なんてどこにもない」のにと。
物語全体を見ると、予言的に働くこのアルミンのセリフですが、一方で普遍的な話でもある。というのも、最悪の事態というのは、安心を過度に信じた時に訪れるものです、と。
そんな世の中の真理を捉えているのが、このアルミンのセリフです。
進撃の名言1「それじゃまるで家畜じゃないか」
進撃の第1話といえば、実は名言の宝庫です。
まず「飯食って寝てりゃ生きていけるけど、それじゃまるで家畜じゃないか」というこの一言です。
私含め、安心・安全を目指す人は多いと思いますが、それで本当にいいの? 実は不自由で抑圧されてるだけじゃないの? 気づいていないだけでみたいな…。インパクトのある一言です。しかもそれを言うのが、この純粋な真実を知っていそうな子供というところが、考えさせられる…。
一方で、ハンネスさんとの対話で「ただ飯食らいってバカにされる、そんな平和もいいじゃねえか」という、その価値観もちゃんと両立してるんです。そこを否定しない、このバランスというのが進撃の巨人のその間口の広さです。
進撃の名言2「何の成果も得られませんでした」
次に「何の成果も得られませんでした」。
読み返してみると「調査兵団三段下げ」というのが面白かったです。まず前提として、エレンが憧れる調査兵団を、みんながバカにする。普通の話であれば「みんなはバカにするけど、実は調査兵団すごいんだ」と描かれるはず。
しかし、調査兵団の凱旋だと帰ってきたら、お通夜のような顔をしている。
さらには、モーゼス・ブラウンの母親が「ブラウンはどこですか?」って聞いて、生きているのかなと思いきや、右腕だけしかない。
極めつけは「息子は役に立った?」と聞かれた時に「何の成果も得られませんでした」という絶望的な返事が返ってくる。
最悪なホップステップジャンプというか、諫山先生の人に絶望させる手腕。
せめてこれぐらいは…という無意識の期待を我々はしてしまいます。調査兵団って、みんながバカにするけど、すごいだろうなとか、何か戦ったんだから、せめて何か成果はあるはずだろうみたいな、そんな無意識の期待に対して裏切ってくるからこそ、ここは印象に残る。
進撃の名言3「その日人類は思い出した、奴らに支配されていた恐怖を、鳥籠の中に囚われていた屈辱を」
3つ目に「その日人類は思い出した、奴らに支配されていた恐怖を、鳥籠の中に囚われていた屈辱を」。
これが進撃の巨人をただのバトル漫画より一段格を上げてます。まずこの人類という言葉が凄い。エレンたち子供たちの視点で日常が続いていきますが、一気に俯瞰的に見えます。さらには人類という言葉自体が一つのミスリードです。最初の調査兵団の戦いから「人類」という言葉は使われていたのですが、このワードチョイスがいいなと思いました。
モーゼス・ブラウンが巨人に斬りかかる際も「人類の力を思い知れ」と言う。「兵団の力を思い知れ」とか「我々の力を思い知れ」「俺の力を思い知れ」という感じで、もう少し小さな範囲で言ってもいいんですが、人類って言うんです。なのでこれは、ある個人の小さな物語ではなく、世界全体の大きな話ですと感じさせる一言です。
「その日人類は思い出した」というのも「その日人類は気づいた」や「その日人類は理解した」でも正しいはず。巨人についての記憶もないわけで。でもあえて、「思い出す」という単語を使うことで、時間的な広がりを感じます。
「鳥籠の中に囚われていた屈辱を」というのも「壁の中に残されていた無念を」でもいいと思いますが、あえて「鳥籠の中に囚われて」という単語を使う。これも家畜と同じく比喩表現ですが、この表現でただのバトル漫画じゃないな…と少し格が上がります。鳥籠という言葉自体は、1話でも何度も描かれた自由の翼です。調査兵団が壁から外に行く、羽ばたくところでそれと関連づけて鳥籠なのかなと。もちろん、エレンと鳥の関連性などもあります。
鳥じゃなくて「昆虫ケースに囚われていた屈辱を」とかもあり得たわけで…。鳥がチョイスされたというのは良かったです。
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1話『二千年後の君へ』 | |
2話『その日』 | |
3話『解散式の夜』 | |
4話『初陣』 |
十字架の意味はエレンの墓