この記事の目次
進撃の巨人90話『壁の向こう側へ』のあらすじ
850年(ウォール・マリア奪還作戦後)
ウォール・マリア奪還で得た世界の真相は、壁の中の一般人にも伝えられた。
生き残った調査兵団兵士のための、勲章授与式が開催される。
フロックは、アルミンが生き残ったこと、リヴァイが私情に流されて合理性に欠ける判断をしたことを責める。
エレンはフロックに反論し、アルミンの壁の外の夢を語るが、グリシャの「記憶」がちらつく。
そして、式が始まり、エレンはヒストリアの手の甲にキスをする。
その瞬間、エレンは再び記憶を思い出し、今までに見せたことのない表情に…。
851年(トロスト区襲撃から1年 / 一度目の超大型巨人襲来から6年後)
壁の外の大半を巨人を駆逐した調査兵団は、ウォール・マリアの外へ壁外調査に向かう。
そしてアルミンが夢見ていた「海」にたどり着く。
はしゃぐ104期生たちと対称的に、浮かない様子のエレン。
エレンは海の向こう側を指差し「向こうにいる敵… 全部殺せば …オレ達 自由になれるのか?」とアルミンとミカサに問う。
進撃の巨人90話『壁の向こう側へ』で発生した伏線・謎
残された謎
進撃の巨人90話『壁の向こう側へ』で解決した伏線・謎
進撃の巨人90話『壁の向こう側へ』の表現・対比
進撃の巨人90話『壁の向こう側へ』の考察・解説
進撃の巨人90話『壁の向こう側へ』の考察・解説動画
サブタイトル『壁の向こう側へ』の意味
壁外巨人をすべて殲滅し、調査兵団は壁の向こう側の海にたどり着く。
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察
ポイント
フロックの正直さフロックという地味にいいキャラになってきた男が、結構嫌われてる感じのキャラです。何でも正直に現実を突きつけるキャラです。だから、多分苦手な人多いのですが、フロックの台詞が結構面白くて、生き残ったアルミンとか、死上に流されて、アルミン救え!って言ってしまったエレンに、色々攻め立ています。正直にお前ら、自分達のことをいいと思ってるかもしれないけど、ことないぞのようなもので言うのですが、例えば、死上に流せ、注射薬を私物化し、合理性に欠ける判断を下したから、お前が生き残ってしまったんだと、エルヴィンを選ぶべきだった。要はお前は大事なものを捨てることができなかったからだろう、みたいに語るのです。エレンたちに。エレンとリヴァイのことを攻めてるわけです。このセリフって大事なものを捨てるアルミンはって気づくんですが、アルミンが女型の巨人戦あたりで、5話6話あたりで言ってた、何かを変えるには大事なものを捨てなければならない、ってエルヴィンのことを考えて言っていたのです。人間性すら捨てるような人じゃないと、何かを変えることができないって言っていたのですが、そっか、とアルミンは思うはずです。フロックが正しいよってこの後も語るのですが、この状況を変えることができるのは僕じゃない、と言ってます。ここから何かをもう一回捨てないと、変えられないんじゃないかところをアルミンは自覚したという気がします。2つ目がフロックのまたセリフで、エルヴィン団長なしで、これからどうするつもりだよ。俺みたいな雑魚使い捨てるぐらいしか使い道もないだろうが、雑魚にだってな、値踏みする権利ぐらいはあるだろう、と語るのです。ここで実はジャンが、はっ、って気づいたような表情をしていて、これ何かというと、巨人の力を手に入れたばかりの、旧リヴァイ班とかと一緒に行動していた、女型の巨人とかと戦う前のエレンに、ジャンがこんな一言言っています。いや、お前エレン、なんか巨人の力持って、そのお前のために俺たち犠牲にならなきゃいけないかもしれないけど、いや俺たちはエレンに見返りを求めているのだって、きっちり値踏みさせてくれよ。自分の命に似合うかどうかをな、と語るのです。この値踏みさせてくれよって言葉全く一緒です。この時そのフロックは調査兵団にいなかったですが、同じようなことを偶然ながら言っています。値踏みする権利ぐらいはあるだろう。昔の自分を見ているような感じです。きっちり値踏みさせてくれよジャンの場合は、エレンを励ます意味合いが結構大きかったのかな。エレンお前値踏みさせてくれよ。それに見合うだけの努力しろよ。生が残せよと頑張れよという意味で言ってると思いますが、フロックの場合はもう単純に、いや、値踏みする権利ぐらいあるだろうある意味とかのことを言ってますが、本当にお前らでいいのかよ。頑張るよみたいなところもあると思うけど、そういう意図が違うのです。ただ発言自体は正しくて、上の人を下の人が値踏みするは権利があるようなものだと思うので、そういう意味で何とも言えなかったのです。値踏みする権利ぐらいはある。確かになって。いうふうなジャンの表情だったということです。エレンたちにとって海とは何か。最終的にエレンたちが22話の最後にしてようやく1話から続いた海を見るという目標を達成します。やったーという感じですが、そこまで幸せそうじゃないというか、不穏な感じで終わってしまいますと。まず海とは何かというと、海にたどり着ける状況イコール壁の外に巨人がいないことの象徴のようなものです。もちろんここに来るまでたくさんの犠牲があったんで、海にたどり着いたからといって、それが何の犠牲もなしにはできなかった、手放しにある喜べない状況。エルヴィンとか上官とかたすれの人が死んで、その中でようやくたどり着いたというわけで、今のそのミカサ、アルミン、エレンたちは、いっぱい死んでしまった調査兵団の人々に対する代わりを求められる立場です。だって9人しか調査兵団にいないですから、残っている人。だからその代わりを求められる立場で、せっかく海までたどり着いたが、この時感じていたは、不正感のような嬉しさというよりも、もう子供じゃいられないよなとか、複雑な気持ちだったのです。さらにアルミンは、特にアルミンは、夢が叶ってしまったので、これからは現実を見るしかないという状況になってしまいます。エルヴィンの代わりであったり、世界の敵にどうするかみたいなを、海を見るという自分の夢が叶ってしまったので、夢を見るのをやめて、現実を見なきゃいけなくなったところでいいシーンだけど、彼らにとってはつらくなっていくという話です。アルミンが最後に貝を見つめていますが、貝とは何かというと、ズバリ海にしかないものの象徴です。貝ってもちろん壁内にはなかったはずなんで、アルミンは初めて見た貝を、エレンに見せます。エレンこれ見てよと、何気なしに無邪気にエレンの方に語るのですが、エレンが、いや、のどうでもいいのようなもので、俺は海に来れば自由になれると思っていた。でも実際に来てみると、敵だらけだった周りは、俺たち周りを見直しにすれば自由になれるのか、とアルミンに聞くんです。アルミンがエレンを見続けたまま、手に持った貝を持ったまま、そこにカメラが行って、話が終わる、20年間が終わるという話で、この貝なんで、なんでこの貝が終わったんだろうという話ですが、エレンが見向きもしなかった見向きもされない、自由の象徴、海に来たという象徴である貝殻は、夢の終わりであったり、幼少期の終わりを表しています。だから学校を卒業して、進路がわらわらになる感じで、これから3人は別れていきますが、ふうなことを描くために、この海に近ない象徴物である貝殻、アルミンの夢が叶った後の、具体的なものという貝殻が描かれて、それが見向きもされなかったねところが、描かれているという話です。最後、小ネタ。小ネタが結構いくつかありますが、また未解決の謎とかがいくつかあります。まず最初、戦いは続くよみたいな話で、新聞社の人とハンジが話しているシーンが結構印象的で、私たちが巨人を恐れ憎み、どうかこの世から消えてなくなれと願ったのと同じように、世界中の人々が我々パラディ島の人を、人ではなくて有害な化け物と見成した。その結果、あの地獄が繰り返されるのだとしたら、みたいに語るのです。まさに、今までエレンたちがやってきたこと同じです。悪魔と決めつけて攻撃したのはこちらだ。同じようにパラディ島の人を悪魔と決めつけて、世界中の人も攻撃してくるだろうと。こんなのはずっと繰り返されていきますという。ハンジがたまたま映っていたのに思ったのが、ニック主体を拷問したサネスって中央第一憲兵のやつがいて、そのサネスを拷問したハンジがいて、そのサネスに、いや、ハンジかわいそうにな、お前は悪魔めみたいな。こんな役には順番があるのだ。せいぜい頑張りな、みたいに言われていたのです。だから、これ大きな意味で見ると、またそのパラディ島にとっての順番が回ってきたのようなものです。巨人を倒してきたが、今度はパラディ島が巨人のように倒される側というか、憎まれる側になったというところが描かれています。今の新聞社の人たちって、王政を打倒する時、空手大を起こす時に、ハンジが説得した人々です。こんな新聞社の普通のおっちゃんたちですが、あなた方は誇りに思います、この時は言っていると。ただ、この時は関係良好ですが、周りへんとかに入っていって、色々兵団内でも意見が割れていく中で、関係が少し悪くなるところでその辺がこの後の見どころでもあります。あとマルロの最後正直者のフロックが、憲兵団のアニの同室だったヒッチに、マルロ、あいつの最後はな、と語るのです。ヒッチはマルロが好きだったんで、マルロは最後はあそこに行ったことを後悔しただろう、と語るのです。正直に教えてあげた方がいい、と言うのですけども、もちろんヒッチは傷ついているという描写です。ただ、この時、マルロの厳密には、2週間あたりを読み返すと分かりますが、ヒッチのことを思いながら死んでいったのです。ヒッチの姿を思い出し、今あいつ何してるかな、みたいに思い出しながら死んでいったので、後悔はしていたが、ヒッチのことも思っていたただそれが誰にも伝わらずにマルロは死んでしまった、が悲しい話です。次がリヴァイの考えが受け継がれるこれ話前後しまくりで申し訳ないですが、フロックがアルミンとかエレンを攻めた際に、僕はもう選ばれるべきじゃなかったんだ、エルヴィン団長が選ばれるべきだったんだ、とアルミンは後悔しているように語るのですが、そのタイミングでエレンが、俺にはわからないな、正しい選択なんて、未来は誰にもわからないはずだ、と語るのです。このセリフ何かというと、まんまリヴァイが言っていた言葉です。正しい選択は誰にもわからない、とリヴァイってよく言っているので、なんでここでリヴァイが映されているのか、リヴァイの考えとか意思が、エレンにちゃんと受け継がれていったんだな、と分かります。ここから先、あと4つほどです。壁の外には自由が、という話で、状況の中でアルミンに、お前忘れているかもだけど、外の世界には様々なお前が求めていたものがあるじゃないかと、氷の場所とか、炎の水とか、見たことのないものがいっぱいあるはずだ、その中にも海があるし、自由がある、と語るのですが、その自由があると語るタイミングで、エレンの脳裏に浮かんだのが、グリシャの妹が犬に漁られている、殺されている光景です。先ほどグリシャの話をやったように、自由には代償がある今まで無邪気に、エレンたちは自由が欲しい、自由が欲しいと言って、壁の外を求めてきたのですが、その自由ってそこまでして、手に入れる価値があるのかな、とか、本当に自由って良いものなのかな、が、この後問われていきます。自由には代償があるという事実を受け入れた上で、なおも自由を求めるのか、とはいえ求め続けなきゃいけない、この物語はエレンたちが始めた物語だから、みたいなところがありますが、この辺の漫画の表現が上手いな、と思いました。後はアルミンはエレンを気にしているという話で、ヒストリアが発言して、今、壁内は色々あったが、みんなで一致団結して、力を合わせて、壁外の世界とかと戦っていかなきゃいけない、みたいに言うのですがアルミンがエレンの方を見ています。ミカサは別にエレンの方を見ていないので、アルミンだけが見ているという感じかなと思いますが、この一致団結して力を合わせなければいけない、というヒストリアの発言と、エレンは違う事を考えていて、それをアルミンは気づいているのではないかな、という感じがします。この辺まだよくわからないですが、あとはエレンはどんな光景を見たここ、まだ謎です。謎ですけど大事なところ触れておくだけします。ヒストリアにエレンが、触れたタイミングで、エレンの目がガラッと変わって何かを思い出すんです。その時点では、グリシャがレイス家に懇願して、壁の外の巨人を倒してくれ、頼む、と語っている姿を、22話では描かれていますが、それ以上の事が、この時のエレンの頭には浮かんだ、ということが、進撃の巨人30話とかを読むと分かります。まだ詳細はわからないですが、エレンは、今、ヒストリアに触れたタイミングで、様々なものを見たと言います。特に、親父の記憶、グリシャの記憶から、未来の自分の記憶を見た、あの景色を、と語るのです。この、彷彿としたような表情で、何か景色を見た、ところでまだ謎ですが、ここでエレンの考えが、大きく変わった、という表情であり、この重要なシーンになってきますよ、という話でした。最後に、海の向こうにいる敵全部殺せば、俺たち自由になれるのか、という22話の最後の言葉です。このセリフの意図ですが、まだ謎です。ただ、一応、2種類、どちらかかな、があって、エレンの発言としては、壁の向こうには海があって、海の向こうには自由がある、ずっとそう信じてきた。でも違った。海の向こうにいるのは敵だ。何もかも、親父の記憶で見たものと同じなんだ。向こうにいる敵全部殺せば、俺たち自由になれるのか、と語るのです。どういう意図かというと、2種類あるかなと思って、俺たち自由になれるのか、敵を殺せば、俺たち自由になれるのか、は、いや、なれない、という反語的な表現。なれるのか、いや、なれない、というところまで含めた表現、が、説一致です。巨人という敵を倒したら、海の向こうにまた別の人間、敵がいたと。その海の向こうの人間、また新たな敵を倒したら、今度こそ自由が手に入るのか、それともまた新しい敵が出てくるのか、という話です。つまり、自由はいつになったら手に入るのかという話で、敵を倒し続ける、敵を倒し続けたら、また敵が出てきてしまうじゃないか、ので本当に自由って手に入るの、みたいな話です。問いなのではないかな、という気がします。の場合では、例えばサシャの父親なんかが、サシャは森の中にいて、殺し合いの、逆に恐竜の世界にいた。調査兵団とか入って、森の外に出たと思ったら、また実は大きな森の中にいたんだ、という話があるです。だからサシャが死んじゃったのは仕方ないんだ。それとも結構通じるかな、敵がいて、そいつを敵を倒して、また外の世界に出たら、また別の敵がいたと。そいつを倒したら、また自由があると思ったら、実はまた敵がさらにいるのではないかな、外側にいるのではないかな、みたいな話になる方向の展開だとしたら、これは反語的な表現です。自由になれるのか、嫌なれないという表現になります。もう一つの説としては、自由を手に入れるためには、この台詞です、向こうにいる敵全部殺せば、俺たち自由になれるのか、は、向こうにいる敵全部殺さないと、自由になれないのか、自由になるための条件として、向こうにいる敵全部を殺す、というコツなのか、という話です。巨人をすべて駆逐した、今までパラディ島の外にいた巨人を、全部駆逐したです。巨人を全部駆逐したように、壁外の人類、パラディ島の外の人々というのも、巨人のように、駆逐しないといけないのか、倒せなきゃいけないのか、今まで自由を手に入れるために、巨人を駆逐していたのと同じように、壁外の人類、すべての敵を倒してやる、という覚悟、こちらの可能性もあります。この場合だと、29話で、アルミンが何か気づいていますが、それが、その様に見えちゃいます。例えば、エレンが、ミカサとアルミンのことを訪れて、
お前達のことが嫌いだって、お前ら、ミカサなんてお前大嫌いだある意味お前はなんかずっと俺に勝てなかったよなひどいことを色々言うのですが、ミカサが気づいています、私たちを突き放すのはどうしたらいいの、私のことが嫌いって、なんでことエレンが言うの、エレンが真を隠しているとして、それは、アルミンが考えたのが、その海の真です、海の真を考えましたと、海の真を思い出した後、まさかと言って、それ以上何も語らないですが、ミカサとかアルミンをエレンが突き放すこと、海の向こうにのやつらが皆殺ししたらというセリフがどう結びつくのかって話です、エレンはもう皆殺しするつもりかもしれない、皆殺ししたらエレンは憎まれるかもしれない、エレンは憎まれる中でもミカサとアルミンだけは突き放して、自分と無関係でいさせようと、そういう可能性もあります、という感じ
進撃の巨人90話『壁の向こう側へ』の感想・ネタバレ
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