【進撃の巨人】第111話『森の子ら』考察・解説・感想【ネタバレ】

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進撃の巨人111話『森の子ら』のあらすじ

エレンと共にフロック達100名余りの兵士が脱走した。
ナイルは、ザックレー殺害にも加担している彼らを、反兵団破壊工作組織「イェーガー派」と名付ける。
ピクシス司令は、混乱する兵団を収め、指揮を取る。

ニコロのレストランに招待されたブラウス一家は、マーレ料理に舌鼓を打つ。
食事の裏で、ガビ・ファルコはニコロに「パラディ島に潜入したマーレ戦士候補生」であることを明かす。
ニコロはガビがサシャを殺した少女と気付き、ワインで殴りかかる。
ファルコがガビを庇った結果、ワインを体内に摂取してしまう。
ニコロはそのワインは「ジークの脊髄液」が入っていると推測する。

サシャ父アルトゥルに、娘の仇であるガビを前にして、憎しみ・怒りを抑え、語り始める。
「サシャが殺されたのは森をさまよったからやと思っとる」
「子供達はこの森をだしてやらんといかん」
「過去の罪や憎しみを背負うのは我々大人の責任や」

サシャの両親、そしてニコロが怒りを抑え、一件落着。
と、思いきや、サシャに救われた少女カヤがガビを襲う。
ミカサがカヤを止めて、ガビは命を救われる。

【時期】854年
【場所】パラディ島

進撃の巨人111話『森の子ら』で発生した伏線・謎

Qガビの発言「先に殺したのはそっちだ」
(28巻111話)

A
(巻話)

関連進撃全話の伏線・謎まとめ

残された謎

Q
(28巻111話)

A
(巻話)

進撃の巨人111話『森の子ら』で解決した伏線・謎

進撃の巨人111話『森の子ら』の表現・対比

進撃の巨人111話『森の子ら』の考察・解説

進撃の巨人111話『森の子ら』の考察・解説動画

サブタイトル『森の子ら』の意味

殺し合いの連鎖の「森」でさまようサシャ・ガビ・ファルコ達のこと。
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察

ポイント

状況説明ですが、イェーガー派の誕生から物語が始まりました。反兵団破壊工作組織、イェーガー派少しこれ勢力図、簡単に頭に入れておいた方がいいのですがハンジたちです。旧調査兵団という人々が、ハンジ、リヴァイ、アルミン、ミカサ、ジャン、コニーといいます。彼らを束ねて、兵団です、ザックレーが死んでしまったので、ピクシスがトップとなって、ナイルとかローグとかがいます。それに反旗を翻したのが、このイェーガー派、元兵団の人々と、反マーレ派義勇兵です。イェーガー派はエレンを中心として、フロックとかルイーゼとか調査兵団の新兵がいます。反マーレ派義勇兵はジークを中心として、イェレナとかオニャンコポンがいるという状況です。イェーガー派っていった時に、エレン、フロック、ルイーゼ以外にも、反マーレ派義勇兵も正確には含みそうですが、少しややこしいので、一応このように分けています。イェーガー派、エレンとフロックです、主にフロックですが、彼らがどういう目的かというと、エレンを信じたいと考えています。島を救えるのはエレンの考えだと。そのエレンが信じているジークのことも信じようと考えています。その結果、エレンたちがやりそうな地鳴らしというのにも、頼るしかないよねという考えです。エレンの始祖の巨人を、他の兵士に移そうと兵団がしているので、それは絶対許さない。なぜなら、エレンこそが我々を救ってくれるからだと考えています。そのためにエレンを解放して、さらにはエレンとジークを接触させようが、彼らのやりたいことです。少しした状況説明です。この間の、この111話の面白いところは、4つあります。1つ目がピクシスの1話性ザックレーの代わりにピクシスになったのです。この兵団のザックレーが死んでしまって、ピクシス司令がトップになります。ピクシスは、エレンに降参する姿勢を見せて、エレンとジークの地鳴らしに賛成しますと。エレンにジークの居場所を教えることを条件に交渉、さらにザックレー殺害には黙認だと言って、ギリと言って、安かろうって言います。このピクシス司令、その全体の言い争いを収めたというところでお見事だったのですが、嘘とかもあったのです。初登場のスピーチからして人を動かすことに長けていますが、その一方でそれは、一種の縁起だったということが、フロックの言葉から分かります。フロックは、エレンの判断です。ピクシス司令は、我々に島の名誉を委ねるような賭けはしない。我々を道案内する道中で、エレンから子僧を奪う算段を立てるのに、今頃大忙しでしょうと語ります。正解でピクシス司令は1話して、より多くの人類を救おうと考えています。その目的のためであれば、どんな手段を取るかを、冷静に考えていると。最初に、フロックたちに協力する姿勢を見せて、とりあえず、いい争いを収めましたと。しかし裏では、このように動いていたのです。なにかというと、エレンが信頼にならないと考えているからです。裏切る可能性のあるエレンよりも、裏切らない可能性の高い自分の部下です。その部下に、始祖の巨人の能力を渡して、地鳴らしを、上手いこと有効活用しようと考えています。そのためであればエレンを騙してもいいと考えていますし、兵団内部に敵を抱えておいたらどうにもならぬ、仮に徹底して敵を炙り出すにしても、どれだけの血が流れることか、考えるにおぞましいばかりか、愚行に費やす時間はどこにもないってピクシスは語っていますが、これも半分本当、半分嘘です。血は流したくないけれども、その過程で血が流れるのは仕方ないと考えているはずです。目的のためであれば、エレンを騙したりだとか、エレン達のそのメンバーが血を流したりだとかすることも仕方ないと、その代わりに、エレンの力を兵団のコントロール下において、より多くの人が救われればいいとピクシス司令は考えています。こんなピクシスのその人類のためというところは、その割と1話とか初めの方から共通しています。エレンが巨人ということがわかってから、エレンを、あのみんなの前に出して、エレンが穴を塞ぐと、壁の穴を塞ぐから協力してくれという時も、スピーチをするわけです。彼は我々が極秘に研究してきた巨人化生態実験の成功者である。彼は巨人の体を生成し、胃のままに操ることが可能であると言って、壁の穴を塞いだんですが、これも目的のための完全な嘘だったわけです。ピクシス司令は、あの初期の頃から、あの目的のために人類を救うために、いかなる手段も取るぞという人物だったがピクシスの1話性です。で次、憎しみの連鎖の注目箇所ですが、あのサシャを殺したガビ、ガビを殺そうとするニコロの姿が描かれていました。この絵、怖かったです。あのお前がサシャを殺したのですという、怒り狂った行走で、ニコロは、ガビをこう殴るわけです。でこのゾウから大人が子供を本気で殺そうとするこの絵、全力でこの後子供を殴っています。ガビクラクラってなってるのですが。それも完全な感情だけの怒りだけのものかというとこともなくて、あのサシャの父親に、殺しの権利を譲ろうとします。でこの怒りの中にも冷静さがあるが逆にその怒りの深さであったり強さが際立って、少し見ていて苦しかったです。ニコロは、俺にも大事な人がいた。確かにエルディア人だ、悪魔の末裔だ。だが彼女は誰よりも俺の料理をうまそうに食った。このクソみたいな戦争から俺を救ってくれた。人を喜ばせる料理を作るのが本当の俺だと教えてくれたって、サシャのことを思い出しながら語ります。このサシャの良い笑顔が非常に印象的ですが、これはニコロの視点から見た時のサシャの姿なんで、少し5割増というか非常に美化されて描かれているところがあると思います。それも切ないです。ニコロは、エルディア人は悪魔の末裔という教育をガビ同様に受けていました。しかしそこから抜け出してサシャのことを愛していたということが見て取れます。そのニコロとです、ガビの会話が非常に物語の中でも重要なテーマを扱っているです。ガビが、私だって大事な人たちを殺された。サシャブラウスに打ち殺された。だから報復してやった。先に殺したのはそっちだと言って、ニコロが知るかよ、どっちが先とかと語ります。あの進撃の巨人26話の解説でも語ったのですが、始まりはサシャがレベリオ収容区に乗り込んで、ガビが仲良くしていた門兵のおじさんたちを殺したところから始まっています。その報復としてガビはサシャを殺した。その結果ニコロはガビを殺そうとしているというところ確かにねこのサシャが始めた殺しの連鎖ではありますが、とはいえニコロが言うように、最初にやったのは誰でとか、知るかよという話です。観念的には、どっちが悪いを突き詰めていくと、その原因をたどれるかもしれませんが、その当人にとっては、本人にとっては相手のせいだというところが見て取れます。つまりこの観念的な会話をいくらしても仕方ないよねが、進撃の巨人に共通して流れている考えです。ガビを、サシャの父親は許したわけです。だから過去の罪や憎しみを背負うのは大人の責任だと言って、ニコロに、語りかけると。何故サシャの父親がこのように許せたのかというと、これ個人的な考えですが、この死刑官が少し人と違ったからです。人の死因って色々な外部要因によるものがあります。その寿命とか病気でなかったとしたら、色々な外部要因で死ぬことがあります。例えば、サシャのように、サシャというか親しい人に殺されるとか、見知らぬ人に殺されるとか、サシャのように、殺されるとか、あるいは森です、山とか行った時に、虎とかと会って獣に殺されるです、あとは山登りとかしていて遭難するとか、自然災害、なだれです、ので死んでしまうという、人間の死因って色々とあるわけです。自分自身が体験してないので想像でしかないですが、サシャの父親からすると森の中で生きていた人物この獣に殺されるとか、自然災害で殺されるは、仕方ないこと、誰も恨みようがないし、やつ当たりというか、獣を殺したとして、獣に殺されたとして、その獣を殺したら、それで報復になって生成するのかって、こともないよねと。あるいは自然災害に反撃するなんていう手立てもないです。ところで仕方ないよねと、受け入れている人物です。さらにそこから精神的に拡張して、他の人に殺されるというところ、親しい人とかに殺されるとか、見知らぬ人とかに自分の大事な人が殺されるとかも、許せるような精神性、精神の強さを、持っているのだろうなと想像できます。サシャの父親にとっては、この世界は森だと。獣に襲われて死ぬこともあるような、殺し合いがどうしてもあるような、場所と捉えているからです。なのでサシャの父親は、許せたという話です。そのサシャの父親が語った森から逃れるという言葉が、印象的でした。森という言葉は、最初にサシャの回想の中で出てきた言葉です。一生この森の中で、自分や同族のみの価値観で生きていくのもいいだろう。けどな、サシャはそれと侵入する覚悟はあるのか?とサシャの父親はサシャに語りかけます。森は、命の奪い合いを続ける場所であり、憎しみの連鎖がずっと続く場所。さらには大人たちが、植え付けた教育も、一部少し取って取れる、結構複雑な言葉です。ここで言ってるのは、他の人を背した、自分たちだけでまとまって生きる、森の中だけで生きるのと、その森の外には世界があるのだけど、森の中だけで生きるということを語ります。サシャの父親は、森を出たつもりが、世界は命の奪い合いを続ける巨大な森の中だった、いうと語ります。サシャが殺されたのは森をさまよったからだと、せめて子供たちはこの森から出してやらないといけない。そうしないとまた同じところをぐるぐる回るだけだろう、と語るのです。なのでこれは一つ、ガビがカエに語った、あなた達の祖先のせいで、どっちの祖先のせいだという、言い争いの、への一つのアンサーです。もうそういう話じゃないんだよって、それを許してあげるが大事だよって。大人は子供に、憎しみとか罪とか復讐とかを、教育する、植え付けるのではなくて、のをしっかりと、自分達の世代で、許してあげて、それを受け継がせないことが大事だを、サシャの父親は語ります。正しいように思いますし、進撃の巨人の一つの大きなテーマです。殺し合いがずっと続いていく、このパラディ島を含め世界の歴史の中で、少なくともこの、サシャの父親の周りというミクロな世界では、一つ許しという回答が得られたと。もちろんこれがそのマクロというか、世界全体に伝わっていくかは、まだわからないですが、一つの回答です。ガビにとっても、それは衝撃だったと。ガビは、純粋な少女です。そのマーレ国の教育によって、パラディ島は悪魔だとか、自分は戦士になという人々を救うんだと、純粋ゆえにそうやって考えていた。ガビだからこそ、純粋なガビだからこそ、こんな言葉に触れて、自分には許すという選択肢があるのだと。悪魔じゃない、憎まないという選択肢があるのだを、体験ともに感じたということです。最後に小ネタですが、ニコロの驚きのコマです。ここ面白くて、ブラウスさんよくいらしてくれましたと言って、サシャの父親たちを招くんですが、「…」、これはまた賑やかな人数です、とか。「…」、いいえ今日はお任せください、「…」というので、この「…」というです、これの対応によって、ニコロが予想外の状況を飲み込もうとしているのが、少し分かります。こんな大人数で来るのかと思っていたと。その分準備しなきゃいけないし、無料だから、赤字になっちゃうよなところがあります。あとキヨミの二重制です。キヨミは、ミカサにいざとなったらうちに来いと、このお話で告げるのです。ヒィズル国自体は地鳴らし成功の結果によって、資源の独占を狙っていました。ミカサは、地下資源がなくても、この国の主導権を握るのが誰であろうと、地鳴らしさえ成功すればいいです、あなたたちは、とキヨミに言います。キヨミにとっては、半分層です。あずま人家は、博打に打って出たわけです。地鳴らしに失敗すれば、投資も失敗になって、自分達の一族は終わってしまう。自分のみならず、自分達の一族養っている人々を含めて、みんな終わってしまうというところがあるので、何としても成功させなきゃいけない。一方で、これは本心だと思いますが、ミカサの母親が残した一族の誇りまで失ったわけではない。この国はどうなろうと、お守りしますと言います。将軍家の末裔を、しっかり守ろうという気持ちはあるところで打算と誇りの両方があるが、この話を通じて見えます。

進撃の巨人111話『森の子ら』の感想・ネタバレ

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