【進撃の巨人】第114話『唯一の救い』考察・解説・感想【ネタバレ】

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進撃の巨人114話『唯一の救い』のあらすじ

ジークの回想(830年付近)

ジークの回想回。
ジークの少年時代は、父グリシャと母ダイナの願いに応えようとする日々だった。
表ではマーレ戦士を目指し、裏ではエルディア復権派の教育を受ける。
表では落ちこぼれ扱い、裏では愛情を感じられない日々の中で、唯一ジークを認めてくれたのはクサヴァーだけだった。

ある日、ジークは、エルディア復権派が捕まりそうだという情報を耳にする。
両親にそれとなく、活動をやめるよう伝えるが、相手にされない。
唯一頼れる、クサヴァーに相談した結果、両親ならびにエルディア復権派を密告することを決意する。

成長したジークは、クサヴァーの思いを受け継ぎ、エルディア人が差別されない世界を目指して「安楽死計画」を発想する。
「獣の巨人」を継承し、始祖奪還を目指すと、強く決意する。

現在(854年)

ジークはクサヴァーと交わした約束を思い出し、捨て身の自爆攻撃を仕掛ける。
さすがのリヴァイも、この攻撃は予想外で、大きな打撃を食らう。

進撃の巨人114話『唯一の救い』で発生した伏線・謎

Qクサヴァーの発言「私の獣の巨人はあまり戦争の役に立たない」
(28巻114話)

A
(34巻137話)

関連進撃全話の伏線・謎まとめ

残された謎

Q
(28巻114話)

A
(巻話)

進撃の巨人114話『唯一の救い』で解決した伏線・謎

進撃の巨人114話『唯一の救い』の表現・対比

進撃の巨人114話『唯一の救い』の考察・解説

進撃の巨人114話『唯一の救い』の考察・解説動画

サブタイトル『唯一の救い』の意味

ジークは、安楽死計画の実現がエルディア人の「唯一の救い」と考える。
またジークにとってはクサヴァーさんが「唯一の救い」だった。
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察

ポイント

クサヴァーとマガトの関係から読み解く特別な存在

ジークの回想シーンでは、マガトがクサヴァーに敬語を使う場面があります。「この子供たちの中から私の継承者を」というクサヴァーの問いに対し、マガトは「一人選ばれます」と敬語で返しています。

通常、マガトのようなマーレ軍幹部がエルディア人に敬語を使うことはまずありません。ここから読み取れるのは、クサヴァーが単なる知性巨人の継承者にとどまらず、非常に優秀な巨人学研究者であり、軍からも一目置かれた存在だったということです。

獣の巨人自体は、戦闘に不向きな「外れ枠」でした。クサヴァー本人も「私の巨人は戦争の役に立たない」と語っており、戦闘力よりも研究や実験に使う目的で継承されたことが伺えます。強力な巨人であれば若者に託して軍事利用するはずが、あえて高齢の研究者に譲られたのは、獣の巨人の可能性を見出すための「実験的継承」だったのかもしれません

ジークの陶器技術と獣の巨人の進化

獣の巨人の真価が発揮されたのは、ジークが継承してからです。ライナーの回想では「獣の巨人は相変わらずだ」と語られますが、その後、ジークの投石戦術によって一気に恐怖の象徴となりました。

この技術の原点は、クサヴァーとのキャッチボールにあります。ジークにとってボールを投げるという行為は、父親との断絶を補完する行為でもあり、獣の巨人の能力開花に繋がったのです。

ジークとエレン、愛の非対称性

ジークの悲劇の核心には、「無償の愛」の欠如があります。両親から「お前は特別なんだから〇〇しなければならない」と繰り返し言われ続け、「特別でなければ愛されない」という歪んだ認知が形成されました。

母親が「一生懸命頑張ったでしょう」と言っても、父グリシャは「あれじゃ戦士にはなれない」と切り捨てます。特別になれないと愛されない――この思いはジークの人生を縛ります。

対照的に、弟エレンは「生まれてきてくれてありがとう」という、存在そのものへの祝福を受けています。ジークが「呪い」として背負わされた期待と対比するように、エレンは無条件の愛を受けたのです。

この差異は、ジークとエレンが思想的にすれ違う理由のひとつであり、ジークにとってエレンは「乗り越えるべき弟」であったのかもしれません。

クサヴァーの言葉とジークにかけられた呪い

ジークに対してクサヴァーが語った「君の両親は君を愛さなかった」という言葉。これは事実ではなく、ジークが罪悪感を持たずに行動できるようにするための嘘であったと読み取れます。

実際、母ダイナはジークを気にかけていた節もあり、クサヴァーの言葉は必ずしも真実ではありません。しかしそれは、**ジークに強い決意を持たせるための「自己正当化の土台」**でもありました。

この言葉はジークにとって行動の原動力になった反面、「君は愛されなかった」という記憶は呪いのように彼にまとわりつき続けることになります。ジークの心理は、自己肯定と罪悪感の綱引きで成り立っていたのです。

ボールに託されたコミュニケーション

ジークの幼少期を象徴するシーンのひとつに、グリシャとのすれ違いがあります。「遊ぼう」と言いたかった少年ジークの言葉は、グリシャによって「ああそうか。今日はたくさん勉強できるな」と遮られます。

この「遊ぼう」という想いは、言葉として発せられずに呑み込まれてしまい、ジークは「…うん」と自分を抑えます。

ここで描かれているのは、ボール=コミュニケーションの象徴という構図です。ボールを投げて、返してもらう。その往復が、心のキャッチボールになります。

ジークとグリシャには一方通行の関係しかなく、ジークの投げた「気持ちのボール」は受け止めてもらえませんでした。しかしクサヴァーとの関係では、しっかりと受け止めてもらい、キャッチボールが成立していたのです。

小ネタ:アッカーマンの「勘」とジークの承認体験

雷槍からジークが逃れる場面では、「ゾワッ」という効果音が登場します。このような**直感的な危機察知能力は、アッカーマン一族特有の「勘」**として描かれることがあります。

たとえば、ミカサもザックレー総統が爆発で死亡する場面で「ゾワッ」としており、この感覚が命を救っています。

また、ジークが「野球=投擲」を好む理由は、クサヴァーに褒められた体験にあります。小さいながらに投げたボールに「やるじゃないか」と声をかけられたジークは、「え、僕ですか?」と驚いた表情を見せます。

この時の感情は、生まれて初めて「特別じゃなくても認められた」経験であり、ジークにとって非常に大きな承認体験だったのです。これが後に、彼の投石技術や野球への執着にも繋がっていくのです。

腕章とエルディア人差別の記号性

ジークの回想には、マーレ人が腕章を見ただけで「エルディア人か」と判断する場面も登場します。これは、腕章が明確な差別の象徴として機能していることを示しています。

赤い腕章は「名誉エルディア人」の証とされていましたが、その名誉の実態は乏しく、行動の自由も制限されたままでした。

この描写は、外見や記号によって人を判断する社会構造への鋭い批判とも言えるでしょう。


上記は、ジークとクサヴァーを中心としたエピソードに関する深堀り考察です。これらの描写を振り返ることで、「進撃の巨人」という作品がいかに人間の心の機微を丁寧に描いてきたかが、改めて浮かび上がります。

進撃の巨人114話『唯一の救い』の感想・ネタバレ

進撃の巨人114話『唯一の救い』の感想動画

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