【進撃の巨人】第126話『矜持』考察・解説・感想【ネタバレ】

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進撃の巨人126話『矜持』のあらすじ

地鳴らし1日目夜(パラディ島南の巨大樹の森付近)

ハンジは涙を流しながら、追っ手のイェーガー派を始末する。
巨大樹の森でリヴァイを治療し、移動準備をする。
そこで「エレンの地鳴らし宣言」を聞いて、リヴァイが目覚める。

ハンジ・リヴァイは、マガト・ピークと対話。
手段も見つからない状況だが、地鳴らしを止めるために動き出す。

地鳴らし1日目夜(パラディ島シガンシナ区)

地鳴らし巨人は夜も動き続ける。
ジャンは耳をふさぐ。寝付けないミカサは誰かの気配を感じる。
ライナーは民家で就寝。

地鳴らし1日目夜(パラディ島トロスト区 or ストヘス区)

アニとヒッチは、どこかの宿で一泊する。

地鳴らし1日目夜(パラディ島ラガコ村道中)

ファルコは就寝。
コニーは、母親にファルコを食べさせていいのか悩む。
アルミン・ガビは夜通し馬を走らせて、コニー達を追う。

地鳴らし2日目(パラディ島ラガコ村)

コニーは、巨人になった母親に、ファルコを食べさせようと嘘を付く。
ギリギリ追いついたアルミンが説得をするが、コニーは聞く耳を持たない。
アルミンは、コニー母巨人に飛び込むことで、ファルコを救おうとするが、コニーに止められる。
アルミンの行動に心を動かされたコニーは、考えを改め、「母に誇れる兵士になる」ために動き始める。

地鳴らし2日目(パラディ島トロスト区〜シガンシナ区)

コニー・アルミン・ガビ・ファルコは、偶然アニと遭遇する。
アニはヒッチに手紙を残し、アルミンたちと行動をともにする。

地鳴らし2日目(パラディ島シガンシナ区)

ミカサは、ルイーゼに盗まれたマフラーを取り返す。
イエーガー派のフロック、そしてジャンが、義勇兵の公開処刑を行う。
そこに車力の巨人が現れ、ジャン・オニャンコポン・イェレナを誘拐する。

さらに 混乱に乗じて、砦からアルミン・ミカサ達が離脱。
民家で眠るライナーを起こし、コニーは「早く行くぞ 世界を救いに」と告げる。

【時期】854年
【場所】パラディ島

進撃の巨人126話『矜持』で発生した伏線・謎

Qハンジの発言「みんな巨人にされたけど君だけ生き残った この怪我でまだ生きているのも同じ理由だろうね 君がアッカーマンだからだ」
(31巻126話)

A
(34巻138話)
Qアルミン達が混乱に乗じて砦の裏口から出ていく。それを窓から見送る謎の人影は誰?アニが気づいているのは何故?
(31巻126話)

A
(32巻129話)
Q地鳴らしが始まった夜、寝室の窓に人影がある。ミカサが目を開く
(31巻126話)

A
(32巻127話)

関連進撃全話の伏線・謎まとめ

残された謎

Q
(31巻126話)

A
(巻話)

進撃の巨人126話『矜持』で解決した伏線・謎

Qルイーゼがミカサに見とれているのは何故?
(31巻124話)

Aかつて自分を救ってくれたミカサに再び見とれてしまう。その結果、雷槍の爆発に巻き込まれてしまう。ミカサに救われた命が、ミカサに見とれたことで、失われてしまう悲劇。
(31巻126話)

進撃の巨人126話『矜持』の表現・対比

進撃の巨人126話『矜持』の考察・解説

進撃の巨人126話『矜持』の考察・解説動画

サブタイトル『矜持』の意味

コニーの、母親に誇れる兵士になる矜持。
ジャンの、骨の燃えカス=マルコに対する矜持。
ハンジの、調査兵団団長としての矜持。
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察

進撃の巨人126話『矜持』の地理

進撃の巨人126話で重要な出来事を中心に語ります。

進撃の巨人勢力図126話時点

進撃の巨人勢力図126話時点

ハンジの涙と巨大樹の森

  • ハンジは巨大樹の森でリヴァイを治療
  • リヴァイはジークを仕留めたい

ハンジは巨大樹の森でリヴァイを治療しています。

治療している場所は巨大樹の森(27巻)= リヴァイがジークを監視していた場所です。

長期間、複数の兵士が滞在していたので「食料」の他に「医療器具」があったはず。

注目はハンジの涙。

ハンジの状況としては、王政編(14巻)で王政を転覆するための行動しました。

その中で、

  • 「正しさ」は時代や状況と共に変わる
  • ハンジは「順番」と自覚している

正しいことのために、壁内の人々を始末してきたサネスたちと同じ状況です。

そのことに苦しんでいる様子が描かれていましたね。

参考動画進撃の巨人「王政編14巻の解説」

 

リヴァイは死なない、エルヴィンに意味を与えるまで

進撃の巨人125話の「煽り文句」。

今回も、その言葉が改めて語られます。

生者(リヴァイ)は死なない
あの兵士(死んだエルヴィン)に 意味を与えるまで

リヴァイはエルヴィンに「獣の巨人はオレが仕留める」という約束をしています。

死んだエルヴィンに意味を与えるために、まだこれから活躍する。逆にそれまで死ねない運命を背負っているのかもしれません。

 

コニーがアルミンを救う

  • コニーがファルコを殺しかける
  • アルミンの自己犠牲、コニーが助ける

コニーは葛藤します。大事な母親は巨人化され、親友サシャをなくし、孤独な状態。そこに現れた、知性巨人を持つ何も知らないファルコ(一世一代のチャンス)。

とはいえ母親に言われた「立派な兵士」という言葉と、優しくて良い子すぎる少年ファルコ。そんな彼を自分の母親のために食べさせることは正しいのか。コニーが一晩考えて出したファルコを母親に食わせる方法は「巨人の歯磨き」でした。

 

125話の考察動画でも語ったとおり、アルミンが自己犠牲をしました。もしかしたら125話の独白の時点で、この選択肢を考えていたのかもしれないです。

  • エルヴィンの代わりに生き残った自分
  • エルヴィンの代役を果たせなかったと自覚
  • とはいえ知性巨人を受け継いでしまった

コニーと対峙して、アルミンはエルヴィンのこと(何かを変えるには「捨てる」ことが必要)を考えます。そして「自分の超大型巨人」をコニー母に差し出すことを決意。結果、コニーがアルミンをかばい、一件落着となりました。

ちなみに、Youtubeライブ配信の質問で「これは本気?コニーの助け待ち?」というコメントを頂きました。私は、アルミンはおそらく本気で命を捨てようとしたと思います。

※過去にもベルトルト戦で自分の命を差し出していましたし

 

マフラー泥棒ルイーゼ

125話でミカサのマフラーが盗まれていたと判明しました。124話の解説で予想した通り、やはりルイーゼが盗んでいましたね(ミカサがマフラーを置いていくところをルイーゼは見ていた)

そんなルイーゼの物語における「意味」は何でしょうか?

恐らく意味は2つあります。

 

1つ目はリヴァイとの対比。

雷槍を受けても生き流れたリヴァイと死にかけのルイーゼ。アッカーマンの力の特殊性が描かれています。

 

2つ目はミカサ自身との対比。

命を救われたミカサをすがるルイーゼ。命を救われたエレンにすがるミカサ。ミカサはそこに自分自身の姿を見たのでしょう。

 

アニからヒッチへの別れ

アニはアルミンたちと行動をともにすることになります。最後に、ヒッチに手紙でさよならを告げました。「4年間話しかけてくれてありがとう」が切ない。

 

ピークフィンガー(フルネームが判明)

リヴァイがピークのことを「ピークフィンガー」と呼ぶ。おそらくイェレナから聞いているはず。指をなくしたリヴァイが語るのは意味深 (だけど特に意味はないと思う)

 

みんなで世界を救う展開

104期生達が再集結し、コニーが「世界を救う」と発言します。一致団結の熱さと、コニーだからこそ言えるシンプルな目標。「ご都合」と感じる方もいそうだけど、104期生たちが揃うのはやはり胸躍ります。

マーレの戦士だったライナー、アニ。

次世代の子供達ファルコ、ガビ。

パラディ島のミカサ、アルミン、コニー。

進撃の巨人の最終回構想に影響を与える 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」 っぽい展開ですね。

進撃の巨人に影響を与えた作品まとめ

ジャンの矜持、コニーの矜持

ジャンは夜に何を考えていたのか? 目先の「良さそうな選択肢」と、 「なぜ自分が今、生きているのか」という問題です。言い換えるとサブタイトルの「矜持」。ジャンはフロックに言われた言葉(憲兵になって内地で快適に暮らしたかったんだろ、昔のジャンに戻れよ)を受けて、昔の自分と今の自分までの歴史を考えていたのだと思います。

そんな中、マルコに託された言葉が胸をよぎります。

  • 現状を把握することに長けている
  • 今何をするべきか明確にわかるだろう?

骨の燃えカス(死んだマルコ)にがっかりされたくない。ジャンは調査兵団に入ったときのきっかけを思い出していたはず。そして、実はこれ、コニーの葛藤と重なります。ジャンとコニーは同じ姿勢をとっている=マンガ表現として意図的です。

コニーは母親から「立派な兵士になって」といわれたのに、子供と友達を殺すところでした。コニーも同じく、母親を助けることを諦め、困っている人を助けることを選びます(自分の役割)。

今回各キャラクターの矜持が見えました。

  • コニーは、母親に対する「兵士」としての矜持
  • ジャンは、マルコに対する「兵士」としての矜持
  • オニャンコポンは、「反マーレ派義勇兵という旗印」に対しての矜持
  • リヴァイは、「エルヴィンという死者」に意味を与える生者としての矜持

つまり、それぞれの人々が「何をやるのか」「なんのために動くのか」を見せるような話だったと言えます。

 

マフラーから読み解くエレンのミカサへの思い

マフラーから「エレンが考えるミカサへの思い」を読み解いていきましょう。エレンはルイーゼに「ミカサのマフラー」について語っていたことが判明しました。エレンが、ミカサにマフラーを捨ててほしい理由は何か?

結論から言うと、ミカサに「自由」になってほしいから

子供の頃に、殺人鬼に襲われたミカサを助けたエレン。その結果、ミカサはエレンに縛り付けられてしまった(とエレンは感じています)。

※進撃の巨人30巻の兄弟ツアーでもその様子を見つめています。

 

恐らくエレンの価値観は「みんながそれぞれに自由を求めるべき」というもの。ミカサに対しては、自分にすがって自分のために生きるのではなく、ミカサの意志で生きてほしいと思っているはず。

 

マフラーとはそもそもなにか?良い意味で言えば「エレンとの関係」「エレンのミカサを思う気持ちの象徴」です。しかし、悪い意味で捉えるならば、「囚われる首輪」「エレンのために…というミカサの人生の象徴」とも考えられます。

 

そして今回、そんなマフラーとルイーゼとの話を通じて、ミカサはそのことを感じ取ったのではないでしょうか?126話で、ミカサはルイーゼと会話する中で、気付きがあったはずです。「ミカサに囚われているルイーゼ」を見ることで、「エレンに囚われているミカサ」を認識した。つまり、自分が「エレン」から見た時にどう見えるのか?ということに気づいた可能性もあります。

 

しかしミカサは、それでもなお、マフラーを持っていく選択をします。これは、自分の「意志」による決断だという表現です。奴隷状態・縛られた状態を脱したミカサにとっては、マフラーは縛り付ける「呪い」から、二人の関係を示す「祝ぎ」になるのかもしれません。

 

復活したアニの善人性(フード理論)

アニがパイを食べるシーンは、一見ただのギャグです。しかし諫山先生は「フード理論」というものに基づいて作品を作っていると公言しているので、実はこの描写にも意味があります。結論から言うと「アニは正体不明者から、善人」になったという描写です。

フード理論は「ゴロツキはいつも食卓を襲う」「まんがキッチン」著者の福田里香さんが提唱した概念。

フード3原則として、

  1. 善人はフードを美味しそうに食べる
  2. 正体不明者はフードを食べない
  3. 悪人はフードを粗末に扱う

という観点からキャラクターが見えてくるというもの。

 

例えば、ONE PIECEのゾロは子供が作ってくれた砂糖入りのおにぎりを食べるシーンから善人とわかります。一方でゾロを攻撃する海軍は、子供が作ったおにぎりを捨てることから悪人であると暗に示されるのです。

 

それでは、アニというキャラクターはフード理論から見るとどんな人物なのか? 実は、過去に、アニの目立った食事シーンはありません。食堂で食事を前にしているシーンはあるけど、ミステリアスだし「正体不明者」でした(実際、巨人という敵でした)。

 

そんなアニは、125話でヒッチとの会話で過去・考えが明らかになりましたね。126話の食事シーンでアニが食べまくっていたのは「正体不明者」ではなくなったことを意味します。食べ物をしっかりと食べる姿は「生きるため、栄養補給のため、楽しみのため」という目的が見えてきます。この描写を通じて、アニは「善人」になったことを示唆しているように思えます。

参考動画アニ・レオンハートの徹底解説

 

ちなみに、126話のもう一つのフード描写があります。コニーとアルミンの対立から始まった126話でしたが、最終的に、食卓を共にする二人の姿からは「仲良くなった」(信頼関係が復活した)ことが示されています。また、ファルコとガビも仲良く食事しているので、この4人が仲良くなった / 信頼関係にあることを絵で示していますね。もう一歩踏み込むなら、元々食事を恐れていたガビが、パラディ島の食事を食べているという対比も見えてきます。

ポイント

。一つ目、ハンジとリヴァイですが、ハンジさん、巨大樹の森にいた理由、何かというと、リヴァイを治療するために、あえて選んでいたと、リヴァイがジークを監視していた場所です。
この場所には長期間、調査兵団の兵士が滞在していたので、食料もあるし、医療器具もあるところであえてここに来た。ハンジさんですが、順番の話など、以前からしていましたで、王政編でね王政を転覆するための行動をしたのですが、サネスにこんな役には順番がある、誰かが演じ始めるのだ、頑張れよと言われていたと。それを、改めて思い出してしまうと、正しさは時代や状況と共に変わりますし、次は自分の順番が来たんだ。順番が来たハンジさんですが、仲間を撃つ時にこの目から微妙に涙を流しているところも一つ注目です。その正しいことのために、壁内の人々を始末してきたサネスたちと同様に、手を汚さなきゃいけないんだな、という気持ちもありそうです。あとは遺体を話き絵にして、やっているので、何人か殺しています。用意周到に敵を呼び出して射撃する、決心とか覚悟はもう済んでいるところも伺います。何故殺したのかという話をすると、この手老いのリヴァイがいなければ、わざわざ殺す必要はなさそう、リヴァイのためという側面もあります。次、ハンジさんの行動と発言が切ないという話ですが、このハンジさんの一層二人でここで暮らそうか、リヴァイというこの発言に衝撃を受けた人も多いと思います。ぜひコメントください。切ないのはこの弱音を吐きながらも、台車を作るための行動はしている。この辺りがハンジさんの、弱音を吐くが、現実的にはどうすべきかをわかってる。平庁も、茅野外でお前がおとなしくできるはずがないと、ハンジさんを見抜いている、ハンジさんを理解しているからこそ、こんな発言をしている。今言ったようにハンジさんは弱音を吐きながらも、次に向けて準備を着々としている、この辺り、ハンジからしても、リヴァイに弱音を吐いても、リヴァイはそれに乗らないだろうところも、踏まえても、踏まえてだと、お互いがお互いを、わかってる。二つ目です、コニーとアルミンですが、コニーがファルコをどうやってハイハオ用に食べさせようかという結論として、巨人の歯磨きを考えついたのです。コニーにしては頑張ったなという感じで、嘘がつき慣れてないコニーの、この嘘をつくときの顔がMVPです。このコニーの心情ですが、辛いものありました。本気で純粋で、優しいファルコのことを殺して、母親を、救うつもりだったと。サシャを失った悲しみも直前にあるので、救えるなら救いたいという気持ちもあったです。サシャお前ならわかってくれるかと、つい、前夜に縋った相手はサシャだったと。理解してくれそうな相手として真っ先に思いついたのが、この自分の偏り、サシャ・ブラウン、サシャだったのです。この注目なのが、ファルコを殺そうとしたときにも、ファルコに向けたブレードが、逆刃です。このところを見ると、コニーの葛藤といいますか、なりきれない、優しさも垣間見えてしまっています。次にアルミンとガビがコニーに追いついた理由ですが、コニーとファルコは、夜に動かなかった一方で、アルミンたちは、夜通し走り続けた、正直今すぐベッドに入って2日程度眠りこけたいと言ってたが、夜に動いていた。その結果一晩中走ったアルミンたちが追いついたアルミン相当、限界来てたと思います。アルミンが、最終的には、自己犠牲という判断をします。125話の時点で、すでにこの選択肢考えていたと。エルヴィンの代わりに生き残れなかった、自分、大役を果たせなかったという自覚がある中で、自身喪失もしていたと、中で、生き返るべきだったのは僕じゃなかったと言うが、それは、自分が死んででも、何か結果を残そうというところだったと。実際です、このコニーの母親を助ける直前に、エルヴィンのことを考えていました。12話あたりの、ライナー、ベルトルトに奪われた時のシーンかなと、に近い感じで、何を捨てればいい、僕の命と他に何を捨てされば変えられるところで何かを変えることのできる人間は、大事なものを捨てることができる人だを、改めて思い出しています。結果的には、自分自身を、なんとコニーの母親に差し出した。ただし、過去とは違って、逃避の側面も強いのです。前は、超大型巨人を止めるために、黒焦げになることを選んだんですが、今回は、ファルコを救うために身代わりというと、いい言い方ですが、この状況を投げ出したいという気持ちも、正直終わったということです。そのコニーの酒場を見て自分を止めに来る可能性についても考えていたかもしれないですが、本気で、最悪死んでもいいという気持ちだったという方が大きいのです。次に、正しさという話です。正しいお前なんかに、バカのことなんてわかんねえよとコニーは言うが、アルミンは、いつも正しい論理的です。お前には、感情的な俺の行動なんてわかるわけねえだろと、言っています。その辺りのこのコニーから見たアルミンの姿が、まず前提としてあります。だからこそ、このアルミンの今回の行動、調査兵団の重要な、役割の兵士が取る、頭がいいとは決して言えない行動、非常な、非合理な行動がコニーの胸に響いたのです。アルミンは自分と同じで、感情で動くこともあるし、常に正しい選択ができるわけでもない。そのことを、正しい選択ができないこと、エルヴィンの代わりになれないことも悩んでいるところでコニーは共犯していったと。結果的には、困っている人を助けに行こうという結論に行き着いたわけですが、間違いを間違いのままにしないというところがコニーの良さです。アルミンでも間違えるし、人間は誰しも間違えると。間違いを間違えと、認めずに繰り返すのが、コニーは自分のことバカって言ってたが、本当のバカだと。憎しみの連鎖に対する許しですが、ガビ、コニーを許してくれと、飛び込む寸前のアルミン言っていました。死ぬ直前にせめてそこを解消しなきゃと思っていたのです。憎しみの連鎖からいかに抜け出すかは一つ注目テーマで、特にアルミンも、次世代を担う子供たちにそれを受け継がせないところを意識していたと。自分が死んだ後も、ガビ、ファルコ、コニーたちが殺し合いとか憎しみ合いにならないようにという気持ちです。この後、アルミン、コニー、ガビ、ファルコたちが行動を共にできたのも、このアルミンの一言もあるでしょうし、サシャの父親が、ガビを許したところとか諸々が全部相まって、みんなで行動するが成り立った。こんな過去の遺恨を捨てて、前に進んでいけるのかというテーマは、一つ、進撃の巨人読む上で、面白い切り口です。アルミンたちですが、一致団結コニーだからこそ言える、このシンプルな目標がいいです。困ってる人を助けに行こうと。コニーはストレートな発言をするキャラクターですということを気づかされますし、優しさもある、間違いを受け入れる素直さ、さらには次に進もうとする、過去を引きずらない潔さなんかが、コニーというキャラクターの良さですと実感する回でした。みんなが揃うシーンは、ご都合と感じる方もいるかもしれないですが、感情的には胸躍るところあります。マーレの戦士だったライナーアニ、次世代の子供たちファルコ・ガビなど、みんなが揃って、ライナーこの画面の中にはいないですが、みんなで世界を救いには、進撃の巨人の諫山先生が影響を受けたという、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーっぽい、こんな感じの絵を描きたかったところも伝わってきます。3つ目です、ミカサとルイーゼですが、125話でミカサのマフラーが盗まれていたと判明しましたが、今回、そのマフラー泥棒がルイーゼだったというところが判明です。見てましたから、ルイーゼ。ルイーゼって何だったの?は、意味は2つあるです。1つ目は、リヴァイとの比較です。雷槍を受けて、生き延びたリヴァイと死にかけのルイーゼところでリヴァイの生命力というか、アッカーマンの力の特殊性ところを1つ示している。それ以上に重要なのはミカサとの対比です。命を救われたルイーゼは、ミカサのことを、縋るようになるというか、ミカサさんのようなものになっていますが、それはそのまま、命を救われたミカサがエレンに抱く思いと近いもの、同じような構図です。このルイーゼというキャラクターの登場によってミカサは気づいたと、死に際でも、悔いはありません。あなたの背中を追いかけて私は心臓を捧げて生きたのですからとルイーゼは言うが、こんな姿を見てです、気づきがあったはずだと、ミカサに囚われていたルイーゼの姿を見て、エレンに囚われているミカサ自身のことを認識したということです。逆に言うとです、自分がエレンから見た時にどう見えるのだろうなという、視点を持ったという感じ、死の間際でも自分を信仰し、悔いはないと語る姿は、不自由というか縛られているように影響を与えてしまったなところで申し訳なさところも感じたということです。マフラーの意味は、このルイーゼが、エレンから聞いたところによると、このマフラーは捨ててほしいとエレン言っていたそうです。このマフラーに関してですが、これなんで捨ててほしいのかというと、ミカサを自由にするためです。子供の頃にエレンに助けられた、その結果ミカサは、エレンに、マフラーというか縛りつけられてしまった。30話の兄弟の記憶ツアーの中でも、ミカサの姿を見ていたのは、感情だったと、俺がミカサを変えてしまった、縛ってしまった、不自由にしてしまったという気持ちがあるんじゃないエレンの価値観としては、みんなそれぞれに自由を求めるべきところもあるので、エレンにすがってエレンのために生きるのではなくて、自分の意思で生きていてほしい。マフラーは、いい意味で言うと、ミカサからするとエレンとの関係だったり、エレンがミカサを思う気持ちの象徴、つながりです。一方で悪い見方をすると、エレン視点で言うと、囚われる首輪のようにも見えるかもしれないですし、エレンのためにという枷を背負ってしまったミカサの人生の象徴にも、エレンからすると見えたのです。だからこそ、エレンは、ミカサに変わってほしくて、ある意味、ガビたちとの会話で、お前は奴隷だと、強い言葉を投げかけていたと。結果的には、俺の呪縛から逃れて、自由に生きてほしいという気持ちがあるのだと。
4つ目です、アニとフード・リドンですが、アニからヒッチへの別れが、あっさりでした。アルミンたちと行動することになった結果、手紙で4年間話しかけてくれてありがとう、さようなら、隠室なルームメイトよりと、冗談めいた最後の発言だったのですが、これでヒッチの出番は終わりだと。代わりに、アニとアルミンの再会がありました。まさかの逆で済ませられたという感じですが、アニがパイを食うのを笑うコニーというあのところ、前回も、ハンジさんたちがピークたちと、偶然出会ったし、偶然のところは、目をつぶっていいかと思いますが、このシーンは、アルミンとかコニーたちはもうアニは敵だなど、パラディ島とそれ以外という、単純な構図では見ていないところが、一目でわかっていいです。フード理論的に読み解くと、フード理論という福田里香先生のフード三原則というものがありますが、善人はフードを美味しそうに食べるし、正体不明者はフードを食べない、悪人はフードを粗末に扱うという食べ物を通じた演出、この観点で見ると、このパイを食べるシーンですが、アニは、これギャグシーンに見えるが、正体不明者から善人になったを、理科先生が描いているのです。アニは元々、正体は巨人だったところで目立った食事シーンもそこまでないですし、このミステリアスで正体不明というところがありました。ただ、今回の食事シーンなんかを見ると、もう明らかにこの正体不明者ではなく、一人の人間という感じがします。食べ物をしっかり食べる、生きるため、栄養補給のため、さらには、楽しみのために食べているところでアニが善人になったこと、これを示唆しているのだと。126話、フード描写ありました。コニーとアルミンの対立から始まった話ですが、最終的には、食卓を越えて共にする二人の姿が描かれていました。さらにはファルコとガビも、仲良く食事しているところも、このガビが以前、食事をまともに食べなかったところ、これを考えると、パラディ島メンバー、パラディ島自身への打ち解けたところというところが見えてくると思います。それぞれの矜持です、126話のタイトル、矜持ですが、プライド・誇り・自分を抑制するところでコニーは、母親に対する兵士としての矜持ありましたし、ジャンはマルコに対する兵士としての矜持オニャンコポンは、反マーレ派義勇兵という旗印を掲げたことに対する矜持もありました。リヴァイは、エルヴィンという死者に意味を与える聖者としての矜持、それぞれの人が何をやるのか、何のために動くのかを見せるための話だったです。コニーが答えを出すまでの葛藤ところもありました。困っている人を助けに行こうとは言ったのですが、母親から、立派な兵士になってと言われたのに、子供と友達を殺すところだったところで、コニーは、最終的には助けに行くことになったのですが、一方でアルミンも、エルヴィンの代わりになるということを期待されていたのに、状況を改善する方法が思いつかず、逃げてきた望み通りの誰かにはなれなかった二人です。負け犬達のワンスアゲインというか、感じで、改めて再起していくこの姿が熱かったです。色々考える人が多い中で、シンプルな考えのコニーの一言から、世界救済が始まりそうところも良かったです。このコニーの話は125話の、この内省しているシーンからの続きでもあるのだと。ジャンも、コニーと似たような考えをしていた。夜に、頭を抱えて考えていました。この思考はコニーの葛藤と重なる部分がありそうです。コニーも、サシャ、お前なら分かってくれるかと考えていましたが、同じポーズをしています。ジャンは、個人です、死んでしまった人、マルコのことを考えていた気がします。だからこそ、あのまま耳を塞いで部屋にこもっていたかった、でも骨の燃えかすが俺を許してくれないは、マルコの姿が、能力をよぎったという気がします。なぜ、自分が今生きているのか、何のために生きるのかという問題です。ジャンがフロックに言われた言葉を受けて、昔の自分と今までのこの歴史を考えていたって気もします。昔のジャンに戻れよ、と言うが、昔のジャンは、憲兵団に行くために努力をして、自分のために生きていたと。一方でマルコに託された思いとしては、現状を把握することに長けていて、今何をするべきか、明確にわかるだろう、マーレのメンバーのためにジャンは動いていったわけです。このままじゃいけないということはわかっている、がっかりされたくない気持ちで、コニーと同じように悩んで、コニーと同じく困っている人を助けることを選んだ、二人の重なりが、見えてくる。タイトルとも通り、あのジャンとコニー、マルミオも含めてですが、みんなの境地が描かれた回だった。最後に小ネタですが、5つほどあります。1つ目が、繰り返される迫害の歴史俺たちユミルのためには敵わない、とひどいことを言っていたのですが、このパラディ島民たち、イェレナ囲んでいました。この状況は、エルディア人は悪魔の末裔だ、と言っていた、諸外国が、始祖ユミルを迫害したり、104期生のユミルを迫害していた場面がありましたが、完全にこれの再現です。新生エルディア帝国の歴史は、道は、歴史を繰り返すものでしかない、伝わると思います。壁内人類たち、宴をしていて、歴史繰り返す、呑気ですともと思いますが、一方で、壁内人類の気持ちもわかるところはあって、突然、自分たち以外にも人類は生きていて、しかも敵だと知らされたと、敵に殺される脅威に怯えていたのですが、エレンの放送で生きられることがわかった、自分たちが、助かるためだったら、外の国の人が大量に死んでもいいのか、という問題はありますが見たこともない、情報だけの人のことを人と思えずに、自分たちだけ、いおきに騒ぐところも、わかる気持ちはします。次、ファルコは知ってしまうガビが顎の巨人の継承と、コルトが死んだことを、教えたという、2、3と言ってたのは、ことです。3つ目、巨人たちは夜も歩く巨人の夜の動きは、無垢の巨人は、夜動かないことが基本ですが、ジークの脊髄駅入り巨人は月の光で動けました。今回の壁内巨人たちも夜に歩くことができたと、月の光が出てるのですが、その辺りは設定としてあるのです。ピークのフルネーム判明しました。リヴァイがピークのことをピーク・フィンガーと呼んでいたので、ピークちゃんはフィンガー家の一員だった。最後、腹の探り合いですが、妄想多めで話していきます。リヴァイ兵長が、あんたたちとは利害が一致するテオ・マガトピーク・フィンガーと言っていました。会って早々に自己紹介はせずに相手のことを呼んでいます。名乗らなくてもお前が何者か把握しているぞという一種のマウンティング、情報的に有意なことを示しているのです。兵長が、今言ったようにテオ・マガトピーク・フィンガーと、フルネームで呼んでいるは、パラディ島側から見て、周り側の情報、イエルナ経由で、知っているので、そのことを示しているのです。一方で、周り側も、パラディ島側の情報は、ライナー達経由で知っているので、リヴァイ・アッカーマンは危険だなど、ハンジという人物は巨人に詳しいと知っている、だからこそリヴァイ・アッカーマン、9つの巨人に卑怯を取らない強さを持つらしいがと、わざわざ説明込みで、リヴァイ・アッカーマンお前はどういう人物だを触れている感じもします。ピークちゃんも、巨人博士のハンジさんと言ってるというところは、あなたのこと知っていますよという、そこら辺の、このやりとり、探り合いというところがあるのかなと、嘘もつけず、駆け引きも難しいところをお互い示している、頭の良い会話です。

進撃の巨人126話『矜持』の感想・ネタバレ

進撃の巨人126話『矜持』の感想動画

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