【進撃の巨人】第106話『義勇兵』考察・解説・感想【ネタバレ】

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進撃の巨人106話『義勇兵』のあらすじ

851年(3年前の回想)

パラディ島に再び戦いを仕掛けてきたマーレ軍艦。
その中には、マーレ軍を裏切る「反マーレ派義勇兵」が乗っていた。
義勇兵のリーダー格イェレナ、オニャンコポンは、マーレ国が他国と戦争状態にあること、パラディ島と比にならない軍事力・科学力を持つことを告げる。
パラディ島政権は、ジークへの疑いがはれないまま、義勇兵と話し合いの場を設ける。
義勇兵の協力のおかげで、「マーレ軍調査船団」を騙し討ち、「港」を作り、パラディ島の発展は順調に進む。

854年(現在)

レベリオ襲撃から帰ってきたパラディ島勢は、サシャを含めた死者8人の葬儀を行う。
アルミンは、この現状や困惑を、地下室で眠る結晶状態のアニに語りかける。

【時期】851年〜854年
【場所】パラディ島

進撃の巨人106話『義勇兵』で発生した伏線・謎

Qエレンがアルミンに「ベルトルトの記憶で何か見たか?」と聞く。アルミンは「まだ何も」と顔をそらして答える
(26巻106話)

A
(34巻139話)
Qエレンの発言「時間がない」
(26巻106話)

A
(27巻107話)

関連進撃全話の伏線・謎まとめ

残された謎

Q
(26巻106話)

A
(巻話)

進撃の巨人106話『義勇兵』で解決した伏線・謎

進撃の巨人106話『義勇兵』の表現・対比

進撃の巨人106話『義勇兵』の考察・解説

進撃の巨人106話『義勇兵』の考察・解説動画

サブタイトル『義勇兵』の意味

イェレナ・オニャンコポン達「反マーレ派義勇兵」がパラディ島に協力する
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察

ポイント

アルミンが持っている貝。海にしかないものを、自由の象徴であったり、アルミンにとって、幼少期の夢が、具体化したものを、壁の中にいては絶対に手に入らないものが、この貝殻です。その貝殻を手にしながら、アニに語っているは、一種の幼さの現れに見えました。子供の頃の、おもちゃとか人形を手に持って、誰かにすがって語りかけているような、感じました。その君は、アニだったということが、判明するのですが、この時のアニも、アルミンの声が聞こえていたところが、31話で、分かったりしますけれども、この辺のアルミンの、他の人には誰にも打ち明けられない苦しみところが、この貝と、アニを通じて、見えてくると思います。次。
次、エレンの焦りです。エレンの焦り、このコマが、意味ありげですと思っていて、地鳴らしをやるための条件です、を語ります、エレンが。その時に、ダイナの息子であるジークが解明したのでしょう、と語ります。以前は、カレラ・イーターです。ダイナが巨人化した姿、カレラ・イーターがいて、そいつが王家の血を継いでいたということを話すのを躊躇していたのです。それはもちろん、ヒストリアを守るためでもありますが、それと同時にミカサへの配慮でもあったのです。母さんとハンネスさんを殺したあの巨人が、親父の前妻だったかもしれないなんてこんなことって、頭の中で考えながらミカサの方を向いています。しかし今は、ミカサのこともお構いなく、このように語っていると。ミカサはその衝撃の事実を受けて、ハッてしていますが。他にも、この辺からエレンの焦りが見えるという話です。他にも、敵の上陸を阻止できたのは偶然だ。マーレが本腰を入れれば敵の規模はこんなもんじゃ済まねえと語ります。マーレ国を見たことがないのに、このように断言しています。持っているこの情報量とか危機意識が、他の人々と明確に違うなと分かります。もちろんイェレナが語っている100万人のマーレ兵がいて、21隻の戦話、さらには航空戦力があると、パラディ島の人々は知っていますが、その情報だけだと、ずっと壁の外には世界がないって言われていた人々には信じられないです。しかしエレンだけは、それをリアリティを持って感じている。なぜかというと、進撃の巨人の能力で、未来であったりだとか、マーレ国の様子を見ているからです。だからこのセリフというのも、断言をしています。こんなもんじゃ済まないはずだとか、マーレが本腰を入れれば敵の規模はもっとあるのではないかそういう曖昧な言い方をせずに断言しているが、エレンと他の人々の差というところから分かります。さらにはこのエレンの状況です。フード理論という、フード描写を通じて、食べ物の描写を通じてキャラクターを読み解くという理論がありますが、その辺からも読み解くと、エレンは何を考えているかわからない、正体不明者になってしまったなということが、この26話の話で分かります。104期生たちみんながいる状況でみんなでご飯を食べるのですが、その時にエレン以外はみんないて、海の幸を食べりますよ、バクバクって。しかしエレンだけはこの時いないところでこの辺も諫山先生、意図的に、エレンが何を考えているのかわからない、104期生たちとは少し考えが違うんだところを描いています。かなり意図的に描いているのではないです。次です、対立するアルミンとエレンの考えアルミンから見た世界は、時間をかけて肩書きを抜きにして人同士向き合えば仲良くなれるという、昔からずっと話し合いのスタンスだったの、きっと分かり合えると語ります。それを冷ややかな目で見るのがエレンです。この2人は実は元々その話し合いで何度かできるアルミンと、いや、んじゃ生ぬるいしうまくいかねえだろうというエレンで、考えが全く元々違っていたのですが、その溝がどんどん深まっていきます。エレンはアルミンを非難していますが、論理的に、非難しています。時間はない、ジークの寿命は3年もないと語ります。時間があれば話し合える、だけど今は時間がないところで論理的に、詰めていっています。さらに、誤解があるだろうみたいにアルミンは語るのですが、誤解って何のことだよと語ったりだとか、この辺2人の考え方はかなり違います。この106話は、アルミンの回想でアルミン視点だから楽しいみたいな描写が結構多いのですが、エレンの視点で見返すと、アルミン生ぬるいこと言ってるなとか、少し理想論ですという感じで、苛立ちみたいなものがわかると思います。この辺も見返すと非常に面白いところです。次です、エレンとガビの髪型の変化ところで元々エレンとガビは似たような存在として描かれています。絵を通じてキャラクター性というか、シンプルに言うと女版エレンみたいな存在です、ガビは。考え方としても自由を求めるエレンというのと、何としてでも戦士になりたいガビという2人とも結構考え方が純粋です。ジャンは調査兵団入りたいけれども、とはいえ怖いしなとかというそういう人物ですが、エレンはもう自由を求めるそのためなら力が湧いてくるし、一直線に行けるというキャラクターです。ガビも同じようなキャラクターです。注目ポイントは、26話を区切りにして2人の髪型が入れ替わるという点です。エレンの髪型、周り辺以降は元々この髪ボッサボッサというか、まともに切らずに挑発で垂らしていたのですが、これ以降です、26話のこのタイミングで髪を結んで戦い戦えと言って、しばらくこの髪型でいます。実はそのガビの髪型の逆です。ガビは周り辺として出てきてからずっとこのおでこを出す髪型だったのですが、サシャを殺してパラディ島の人々に捕まってからは髪を下ろしています。まさにエレンと逆です。エレンは元々髪を垂らしていて、髪を結んだというのに、ガビは髪を結んでいたが、それを垂らすというところで逆転しています。もう明らかにそのエレンとガビが重なるキャラクターを諫山先生が意図していて、さらにその2人の心情が入れ替わったというか逆転した。シンプルに言うと善悪とか加害者被害者という目線でも見れるのですが、今進撃の巨人の中で正義とは何かを明確に語れないように、これだけではないんじゃないです。実際31話でガビがエレン同様に鏡に向かって髪をくくるシーンがあります。待ってるよファルコと言って決意を新たにして進んでいくという場面があります。この辺りを考えると、この髪を結ぶという行為がむしろ目的のために動くというか、迷いを断ち切って動く人物であるというところが描かれている。このように、進撃の巨人は髪型1個取っても結構深いので是非見解してみてください。あとエレンの視線と漫画の上手さところでこれも結構痺れたコマですが、エレンがアルミンの回想の中で手出しできないようにしてやるのだと銃の射撃練習をしながら語っていました。このエレンの気持ちが、結果的にレベリオ収容区の襲撃を招いて、パラディ島ののピンチを招いていきますが、このコマの後に、次のページを見ると、サシャが撃たれたシーンに繋がっています。かなり作為的なそのコマの連続性です。もちろんそのエレンの銃弾でサシャが死んだわけではなく、ガビの銃弾でサシャが死んだんですが、このアルミンの回想であることを考えると、アルミンにとってはこのエレンの行動が真似いたサシャの死だという意識があるのではないかなと分かります。手出しできないようにしてやるのだというエレンのその進撃する意思が、サシャの死に繋がっていったを、思わざるを得ないというところが非常に漫画的に面白いなということです。あと自然な論理の流れという話で、戦わなければ勝てない、勝てば生きるとミカサは語ります。勝てなきゃ死ぬ、勝てば生きる。その後エレンが、戦い戦えって言ってるので、これ三段論法的に、戦い戦え、戦えば勝てると。勝てれば生きられるところで戦い戦えはあるし、生きろ生きろと同義なんだよなというところが分かりますし、あとはミカサがマフラーを触っている描写です、これから残酷な世界ところも改めて感じてしまいます。この辺りは非常に面白いです。最後、小ネタです。もう長くなって申し訳ないですが、オニャンコポンとイェレナという話をしていきます。オニャンコポンは、俺たちを作った奴はこう考えた、様々な人がいた方がいい、多様性がいいと語るのです。現代における正解の一つです。単一民族がいいとか、ある人種だけが優遇されるべきだというよりも、全ての人種は平等でが、人類が、勝ち取ってきた普遍的な考え方だと思いますが、その体現者であるオニャンコポンが今もその31話時点でも生きているところを考えると、正解の一つなのではないです。オニャンコポンが、すなわち神だと語っている。始祖指輪に力を与えた存在すなわち神だところでイェレナが、なんか非難するような目で見ていますが、これはイェレナにとってのNGワードだから、NGワード神ところでイェレナ神です、無力な私たちに希望を見せてくれましたってジークを見ながら語っていますが、イェレナにとってはエレンとかジークたちが神のような存在になるって本当に信じているから非難するような目線です。実際エレンを見た時も会いたかったよエレンと、これは本心で言っていたりもします。ところでイェレナというのの存在も面白いなと思います。あとサシャの扱いです。の話の前でサシャは死んでしまったのですが、その直後の話で結構サシャを愛情を持って描いているシーンが多くて面白かったです。ニコロさんあなたは天才ですと言って、ニコロがサシャに恋をしたきっかけが描かれていたり、サシャらしくです、モリモリ食べてみんなから非難されるシーンもあったりします。こんな、サシャらしさ全開の話がどんどん出てくるのが結構残酷ですと思いますが、個人的な注目は、このサシャの少ししたコマです、この時サシャは、コニーの方を見つめているが気づきづらいのですが、コマがあります。この時、なんでコニーの方を見ているかというと、兵団の人が、ラガコ村の村民を巨人に変えと言っていた。ラガコ村にはコニーの母親がいるわけです。家族も巨人にされてしまったところでそれは一種のトラウマであり、コニーにとっての悲惨な過去、もちろん母親は今も生きてはいますが、だったりするので、その辺の気持ちをおもんばかって、コニーの方を見ていたと分かります。ところでサシャの扱いです、非常に細かいところまで優しく描いているなということです。アルミンは何を見たという話で、アルミンがエレンとの会話の中でベルトルトの記憶は何か見たかって言われて、いや、役に立ちそうなものは何もと目をそらしながら語ります。も役に立ちそうなものは何もところで伏線の可能性もあります。ただ今のところ出ている情報だと、アルミンがこの後ベルトルトに、アニに、アニに語りかけているところから、ベルトルトに影響されているよつまりベルトルトがアニを好きだったところが影響しているのではないかというところが単純に描かれていると感じです。最後です、幼馴染三人の回想という話で、今回の話はアルミンの回想でした。ここでの注目キーワードは、3年前のあの時、あの時ならまだ何かを変えられるかもしれないというアルミンの一言です。実はこのようなセリフがミカサの回想でもあったのです。31話の時にエレンとの会話の中で別の答えを選んでいたらと語ります。ミカサもアルミンも回想を通じてある選択をしたが、別の選択肢もあったのではないか、別の道もあったのではないかと考えています。進撃の巨人が幼馴染三人の物語だということを考えると、明らかに、これエレンの回想があるはずです。エレンの回想でも別の道という選択肢がエレンの目の前にはあったのではないか。選択と結果の話です。何を選択するのかという話で、個人的なこれ想像ですが、エレンは他の二人とは違って、それでもなお俺はこの選択肢を選ぶ話が語られて今の現状に繋がっていくのではないかなとこのアルミンの回想を見て思いました。

進撃の巨人106話『義勇兵』の感想・ネタバレ

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