【進撃の巨人】第105話『凶弾』考察・解説・感想【ネタバレ】

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進撃の巨人105話『凶弾』のあらすじ

ウド、ゾフィア、門兵のおじさんをパラディ勢力に殺されたガビは、復讐のために行動を開始する。
ロボフ師団長を殺害し、飛行船に乗り込む。
そして、目の前にいた因縁の相手サシャを射殺する。
付いてきたファルコともども、船の中のフロックたち調査兵団兵士に捕獲される。

飛行船の中には、顎髭の兵士、エレン、そして獣の巨人ジークが乗っていた。
ジークは「始祖の巨人」と「王家の血」を引く巨人が揃った、と語る。

コニーとジャンからサシャの死を知らされ、泣き叫ぶアルミン・ミカサ。
一方エレンは、サシャのことを思い出しながら「くくっ」と笑い泣く。

【時期】854年
【場所】マーレ国 レベリオ収容区

進撃の巨人105話『凶弾』で発生した伏線・謎

Qフロックの発言「エルディア帝国」
(26巻105話)

A
(27巻109話)

関連進撃全話の伏線・謎まとめ

残された謎

Q
(26巻105話)

A
(巻話)

進撃の巨人105話『凶弾』で解決した伏線・謎

進撃の巨人105話『凶弾』の表現・対比

進撃の巨人105話『凶弾』の考察・解説

進撃の巨人105話『凶弾』の考察・解説動画

サブタイトル『凶弾』の意味

サシャが放った弾丸がロボフ師団長、サシャを撃ち殺す。
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察

ポイント

この3人です、それぞれの思惑を見ていくと、イェレナです、この背の高い女性イェレナは3年前からパラディ島、ジーク側だったと。元マーレ軍だったのを生かして顎の巨人とか車力の巨人を拘束していたと。その際にあのアゴヒゲをつけていたのです。ジークはジークで、元々安楽死計画をやりたいということが破格しますけれども、一旦です、反マーレ派義勇兵として、マーレ国を裏切ったみたいな立場です。事前にエレンと色々キャッチボールして打ち合わせもしていたりしました。その関係で、あのマーレ国を欺くためにリヴァイにわざと倒されたりだとか、登場が遅かったりだとかしたのです。エレンはエレンで、ある日突然みんなの前から消えて、パラディ島に手紙で連絡をしました。ジークと協力してパラディ島を総攻撃までの時間稼ぎとして、軍幹部の殺害をしたり、主力話隊とか軍港を壊したり、ことをやっていました。エレンはエレンで、ジークに協力せざるを得ない、安楽死計画に協力せざるを得ないような状況があったと、イェレナとの会話などから推測できます。も3人の他に、リヴァイとかハンジも、エレンの命令でジークに協力したりだとか、エレンを助けに行かなきゃいけなかった状況がありました。この話の注目は、4つほどあります。1つ目がガビの凶弾とサシャの死ところでサシャの死は悲しい出来事だったのですが、ガビの視点からこれがどんな話だったのかところを少し見てみようです。サシャが、あいつらにエレン・イェーガーにおじさんの鉛玉をぶち込んでやるとこう意気込んで向かっていったのですが、このおじさんは、門兵です。門で兵士をしているマーレ人ですが、彼らは、珍しくエルディア人であるガビに優しくしてくれた、仲良くしてくれた人たちだったです軽口を叩き合う仲だったし逃げろガビということを言って、ガビを助ける気持ちもあったところで22話から、このガビとおじさんたちを見返すと、あのガビにとって大事な人だったのですということが分かります。サシャにこの二人は殺されてしまうのです。殺された時に、このおじさんが持っている銃を、サシャはこう忘れがたみのように持っていたと。その持っていた銃を使ってサシャに復讐を果たしていったわけです。サシャの、サシャがおじさんを殺したことによって、招いたものがそのサシャの死だったというところです。実際このガビが、飛行艇に乗り込んだ時もゴロゴロゴロと言って、明らかに狙いを定めてサシャを撃っています。一番近いのはジャンのはずなんで、ジャンを撃ってもいいのですが。
この、仇がいたところで、サシャを狙っていった、と分かります。ガビの腕前は、戦士候補生でも、一番ぐらいの成績だったというので、射撃の腕も良かっただろうと。30話でも、そのエレンを撃ち抜いていたりするので、腕前がいいんだろうなということが、この地味な描写から分かります。最終的に、サシャは死んでしまったわけですが、この肉という言葉も、一見ギャグに見えるのですが、その調査兵団に入ったのは、人類のためとかもあるが、肉というか、食料をいっぱい食べれて、未来をサシャは描いていたのです。サシャにとっての自由の象徴が肉だったと。土地を奪還すればまた、牛も羊も増えますからと、サシャは、調査兵団に入る直前に、語っていたりしました。サシャが、最後に、考えていたのは肉は、見果てぬ夢の先みたいなところも、深読みするとあるのではないです。サシャですが、元々は、9話で死ぬ予定だったらしいです。カヤを助けたあたりのエピソードです。サシャの父親が来て、なんとか、無垢の巨人から逃げることができたのですが、あのあたりで死ぬ予定だったということが、編集者のバックさんのインタビューで、オトメディアのインタビューで分かります。引用すると、9話でサシャのエピソードがあるのですが、最初の放送段話ではサシャが死んでしまったと思われる、終わり方だったのです。諫山先生も生かすべきか悩んでいたみたいで、一見格好良いけれども、死ぬのはここじゃない、もっとふさわしい場所があるのではないかと思ったのです。それで戻ってきたネームを見たら、とても良くなっていて、読んでいて泣きそうになりました、と語ります。このことからわかるのは、サシャの死を、その9話の時点ではなくて、あえてここにしたところで物語上の意味を持たせています。大きな意味2つあると思っていて、1つ目が、ガビという少女の大きな罪です。この後ガビはサシャを殺したことによって、友人になれそうだったカヤからも恨まれますし、それが助かるきっかけになったかもしれないニコロという青年にも、殺されそうになる。サシャの父親という、自分が殺してしまった人の父親からも、よくしてもらってしまうところで罪の中です、戒心していくという、ガビにとっての意味があります。もう1つがエレンと104期生達の分断です。この話の終わりでエレンの笑いがありますが、そこで一種決定的に、エレンを許せなくなってしまうのです。特にコニーは、あいつ何考えてるのだと言ってしまうと。そうなったきっかけは、大事だったサシャの死です。104期生の仲間が死んでしまったというところです。さらにはこのエレンの行った選択ところも、そのサシャの死に繋がってしまったところで非常に、物語上でも、26話以前と26話以降では、レベリオ収容区の襲撃含めて、物語が、引き返せないような状況になってしまったと分かります。次です。エレンと重なるガビの別ルートガビにとっては、自分のマーレの人々が殺されたので、報復をするのは普通だろうという考えです。復讐するのは普通だろうと。こんな収容区でも、私の大切な人たちがいる、私の家だから、それを踏みにじられることは許せないのと。目の前でジークさんが殺されて何もできないまま、なんでこんなことをされたのかわからないまま、でいいの?ということを語るのです。そのセリフが、明らかにエレンと重ねて描いています。エレンも、なぜ殺されたかわからないままみんな死んだと、ファルコとライナーにも語っていました。ガビとエレンを明らかに重ねて描いていますが、ガビがエレンと違うところは、ファルコの存在です。ファルコはエレンとライナーの会話を聞いたので、ガビと違って、報復に対する、報復は、終わりがないんだということを知っています。ライナーたちが、パラディ島を訪れて、多くの人を殺したと。それの、報復だけじゃないですが、の報復で、レベリオ収容区の人々が襲われたのです。また、その報復としてガビがまた向かおうとしている。憎しみの連鎖であり、殺しの連鎖は、終わらないじゃないかということを、ファルコは知っていると。さらには、パラディ島の敵は悪魔と、植え付けられた教育だったのですが、悪魔じゃないと、エレンの姿を見てです、気づいていますと、自分たちと同じ人間なんだ。海の外も海の内側も同じなんだという話です。復讐に向かおうとするガビについていきます。その時に脳裏に浮かんだのは、ライナーの言葉です。この真っ暗な俺達の未来からという言葉です。真っ暗な未来は、当時言われた時には、ピンときていなかったのですが、エレンとライナーの会話、今の現状を通じて、理解したと。つまり、一言で言うと、仕方ないという理由で、殺し合うような世界です。そういう仕方なく殺し合う、真っ暗な未来、ここから、ガビを何とか逃がすことはできないのかと、ファルコは、考えていたはずです。とはいえ方法はもちろんわからないのでがむしゃらに、無我夢中でついていくしかなかったという状況だと思いますが、ファルコとガビが、今後どうなるのかが、結構進撃の巨人後半のポイントかなと思いますが、言ってしまえば、ガビという存在は、二周目のエレンのようなものです。エレンの、別ルートのエレンと言いますか、ファルコという、残酷な世界であることを知っている人物が隣にいることで、ガビの、心情は変化していって、エレンと同じような道を、歩まなかったところが、物語上における、何らかの救いになると思います。次世代を担う子供たちところで、子供たちに託したものところが、なんか意味を持ってくると考えています。話を通じて非常に面白いなと思うのが、マーレ編以前は、本当にできるのかという話だったです巨人を本当に倒せるのかとか、王政を転覆できるのかなど、本当にできるのかに面白さがあったのですが、マーレ編以降は、本当にできるのかってよりも、本当にそれって正しいのかに、焦点が絞られていきます。人間ドラマになっていくと言いますか、ある主張があった時に、それに、いや、別の主張もあるよねとか、相手側の気持ちもあるよねという話です。マーレ編以前であれば、ある主張があった時に、それを押し通すのが正義だとこう思えたのですが、そうじゃなくなってきてるところで少し、大人向けな話になってきてるかなという気がしています。次、リヴァイのエレンへの感情が切ないという話で、リヴァイがエレンを蹴るシーンは、初期の頃を彷彿とさせます。しつけに一番効くのは痛みだと思う、当時を思い浮かぶ、リヴァイのその蹴っているシーンがあったのですが、この時のリヴァイの心情を勝手に、忖度したというか、考えたのですが、非常に切ないなと思っていて、共に過ごしてきた信頼とか友情が、リヴァイとエレンにはあったはずです。さらにはこの人類を救う期待でもあったという存在です。エレンが、いて、エレンを守るために多くの人、リヴァイ班とが含めて、多くの人が死んできたと。エレンが変わってしまったように見える。果たして俺の選択はあっていたのか。というところから、感情が入り混じって、その面、地下街で腐るほど見てきた、クソ野郎のそれだ、まさかお前が。と、語るのです。クソ野郎のそれだはどういう意味かというと、目的のために手段を厭わない、他の人の命を奪うことも躊躇しないような人物であり相手が断れないということを知っていながらも、自分の都合の良いことを、行う。自分の都合がいいように行うと。それが、力があるから、そうなることも知っているような人物です。権力者のようなものだと思いますが、クソ野郎になっちまったなという、リヴァイのその気持ちです。次、サシャ死亡後のエレンの反応ところで、エレンの感情変化です。死亡を効かされた後の心情ですが、みんながこう驚いた、非常に驚いた表情を、している中、エレンも、驚いた、表情をしているなというか、苦しい顔を浮かべています。最後に何か言っていたかとコニーに聞いて、コニーが、憎って言っていたって言ったら、クククって笑っています。面白くて笑っているという、読者の方も結構多いようですが、明らかに違うかなと思っていて、ストレスが極限まで高まった状態で、つい出てしまう自重的な、笑いというか、苦しみを紛らわせるために、なんでだよ、ふざけんなよ、のようなもので出てしまう、笑いです。例えば、進撃の巨人50話の時も、エレンは、ハンネスさんという大事な人が殺されて、笑っていました。何にも変わってねーな、お前は、と言って、笑っていたのですが、この笑いとは少し違うかもしれませんが、非常に近いものです。不甲斐ない自分がいて、その自分の選択が招いた結果でありや、悲しみがあります。ただ、このハンネスさんが死んだ時のようにはもう、笑えないような自分の、精神状態にはなってしまっていますが、エレンの笑いです。だから、根底にあるのは悲しみです。本心から笑っているわけではないと思います。進撃の巨人の原画展にいた、友達曰くです、ネームの時には、エレンは号泣していた、ネームだったらしいです。ところで、エレンの気持ちは、悲しいものです。笑っているこのシーンですが、もう少し、別の解釈もあるかなと思っていて、例えば、可能性ですが、コニーたちに嫌われるために、笑う演技をしていたという可能性も少しあるです。後に、ミカサとアルミンに、嫌われようとして、お前のことが嫌いだったとか、アルミン、お前は何もできねえな、みたいに、語ります。それと、全く同じ心境で、このように笑う演技をしていたという可能性もあります。サシャの避けられない死を、進撃の巨人の能力、を使って、未来の記憶として知っていた可能性もあります。その時のサシャの、最後の言葉が、憎って言っていた光景も見ていたと。可能性で考えると、この笑っているシーンも、自分の見た未来の通りじゃないか。その未来を、俺は変えられなかったじゃないかという、笑いになると思います。エレンの反応です。次、コニーの、コニーじゃないです、コネタです、コニー。コネタが、4つほど、コニタって言っちゃいます、コネタが4つほどあります。ロボフ師団長ってこれ誰だという話ですが、3話の12話を見返すと分かるのですが、ダズと退治したおっさんがいます。このおっさんが、氏団長だったのですが調査兵団の新兵として、やり直した。あと、少林に酔うフロックところで、ジャンとこれフロック、かなり対比的に描かれています。ジャンが、何人死んだところで、6人死んで、ソウコはクソって言ってるのに、フロックは、敵に与えた損害と比べてみろ、大勝利だと語ります。フロックは、被害を考えないですし勝利に酔いしれています。この辺の、2人の、心理的な溝ところが、実はこの時点で、描かれています。さらにはこの、新生エルディア帝国という、帝国主義的であり、自分たちが完全に正しいんだと、交付するための言葉としてです、エルディア帝国という言葉を使ってるあたりが、今後のフロック、の予兆になっているです。あと、ジャンの優しさです。6人死んで悲しんでいたジャンですが、ジャンの優しさが、この後の色々な展開を、実は招いているなと思います。何故、アドベンチャーゲームで言うと、ジャンの選択で結構分岐ルートが変わったかなと思っていて、例えば、ライナーの生存も半時に、ライナーが、ライナーを捕まえた時に、まだ殺さないようにしましょうと、20話、21話あたりの、シガンシナ区決戦の時に語っていて、結果的にピークに連れ去られて、ライナーは生存しました。さらに、この26話でもファルコを撃ち抜こうとして撃ち抜けなかった、無意識に、ライソーを外してしまったと分かります。さらにこのガビとファルコが飛行艇に乗ってきた時も、落としたら、その2人の物語終わっていたのですが、落とさなかったところで、彼らの、ガビとファルコとライナーの、生存というのに結びつくのです。さらにはファルコがピークを変わったことを考えると、ピークの生存にも結びついているという、ジャンの、その優しさというか甘さが、状況を招いています。らが繋がって31話状況が生まれていたりします。このジャンの細かい呼び方ですが、そのガビとファルコにも、子供とか、その子がサシャを殺したんだと、その子とか子供と、自分の大事な仲間を殺された、敵に言っています。憎しみを抑えた冷静な物言いというのも非常に、ジャンらしいなーところで注目ポイントです。あとアルミンがエレンに手を伸ばすという話で、アルミンがエレンを、飛行艇で、待ち構えて手を伸ばしている。一見すると二人の、友情であり信頼のシーンですが、過去にあった他の描写とは少し意味が変わっているなということです。例えば、進撃の巨人67話でも、アルミンはエレンに手を伸ばしています。このようにエレンと言って、手を伸ばしています。今度逆に、エレンがアルミンに手を伸ばしている場面というのも、一話の4話で、巨人に食べられそうなアルミンをエレンがあたつけた結果、エレンが巨人にあわや食べられそうになるという、状況になりました。ところで、この手を握るは、昔から、友情とか信頼の証ではありますが、三人の、エレンとアルミンの溝はもう、深まってしまったなところが、後のこの三人の表情から分かります。この二人は、向かい合ってと言いますか、お互い目を合わせて、それぞれ自分の主張が正しいぞというか、特にエレンの方が、俺は間違えたことをしてないぞという、意思も伝わりますし、ミカサは、迷っている状況です。アルミンは、なんでことをしてしまったんだ、顔をしていて、それぞれの幼なじみ三人の顔が、並列で描かれているからこそ、それぞれの三人の違いが、わかる、非常に上手いコマです。今までも諫山先生、この三人の姿を並べて描くコマがあって、例えば、進撃の巨人1話なんかでも、三人が、出てきた時にキャラクター性を描き分けるために、同じ方向を向かせてそれぞれ、このコマも一緒です。吹き出しも一緒でそれによって言っていること、表情から違いを作り出しています。アルミンは、そうなんだよ、本当にそれだけの理由だろうかって言いながら、このように考えるポーズをしているので、主要深い人物ですと。エレンは自分の命を懸けるのだ、俺らの勝手だろうと言って、まっすぐ前を向いていると。自分の考えで、突っ走りますと分かります。ミカサは、絶対ダメというので、一人だけです、エレンの方を向いているということがわかる。この辺りの描写から、3人のキャラクサ、キャラクター性が、それぞれ違うんだよというところと、3人の関係性ところが、見えてきます。

進撃の巨人105話『凶弾』の感想・ネタバレ

進撃の巨人105話『凶弾』の感想動画

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