この記事の目次
進撃の巨人131話『地鳴らし』のあらすじ
地鳴らし3日目(マーレ国難民キャンプ)
スリの少年ラムジー、ハリルは地鳴らしの犠牲になり、死亡。
始祖ユミルがその光景を見ていた。
エレンの回想(マーレ国潜入)
エレンはスリの少年ラムジーを迷った挙げ句、助ける。
エレンは言葉が通じないラムジーに心情を吐露し「ごめんなさい」と涙を流しながら謝る。
地鳴らし3日目(パラディ島〜オディハ)
地鳴らし中のエレンは、アルミンを道の世界に呼び出すが、そのことをアルミンは覚えていない。
アニはアルミンに感謝をする。アルミンはアニに告白をする。
進撃の巨人131話『地鳴らし』で発生した伏線・謎
残された謎
進撃の巨人131話『地鳴らし』で解決した伏線・謎
進撃の巨人131話『地鳴らし』の表現・対比
進撃の巨人131話『地鳴らし』の考察・解説
進撃の巨人131話『地鳴らし』の考察・解説動画
サブタイトル『地鳴らし』の意味
エレンがマーレ大陸を地鳴らしで踏み潰す。
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察
ポイント
エレンの心情です。壁の外で人類が生きていると知って、俺はがっかりしたという、衝撃、人間臭いセリフでした。こちらに関する個人的な解釈ですが、2点あるです。1つ目が未開の地ではなかった。外の世界は、まだ見ぬ何かがある、全人未踏の地だと思っていたが、そうではなかったと。進撃の巨人の世界、SF設定どこまであるのだを謎としてしたが、壁の外、ディストピア的な世界だったかもしれませんが、そうじゃなかったと。我々の現実世界の延長線上なんだということが、この写真など、ジークのパーフェクトゲームとかそういう発言から、分かっていったのですが、それが確定してしまった。人によっては、がっかりしたです。エレンにとっても、がっかりする世界だったと。地続きの世界だったということです。普通に人間が暮らす開拓済みの地で、自由に日常を暮らしている人がいるというところ。自分にとっての旅先の非日常は、現地の人にとっての日常といいますか、まだ見ぬ何かがない世界だったというところがまずあります。さらに言うと、敵がいることです。壁の外の人類が滅んだと聞いていたのに、まだ生きていた、ただの人ではなくて、パラディ島に明確な敵意を持っている存在です。敵が存在しているところで海の向こうにいるのは敵だというところがありました。巨人が外に行くのを邪魔したように、またしても、邪魔する存在がいる。しかも我々と同じ人間だところが、エレンにとってはがっかりポイントだったです。海の向こうには自由がある、ずっとそう信じていたと言うが、またしても、自由を邪魔する存在がいるというところは、大きながっかりポイントだったと。望んでいたんだ、全て消し去ってしまいたかったが、エレンがこの純粋な気持ちで最初に思ってしまったことです。エレンのがっかりしたです。このエレンの心情を理解していく上で、このライナーとかアルミンとの共通点を見ていくといいです。例えば、ライナーとエレンの共通点ですが、エレン、こんなこと言っていました。俺も同じだったよ、ライナー。半端なクソ野郎だと、いうところですが、このスリの少年助けるシーンで、ライナーのことを思い出していました。まず、この二人、この身体的な動きが似ています。膝をつくこの、違うんだエレン、俺はって先生布告の時のライナーとエレンのこの関係であったり、あとはこのエレンとラムジーの関係は、明らかに諫山先生被せているのだと。このエレンは自由になりたかったし、夢見た世界を手に入れたかった。一方でライナーは、英雄になりたいという気持ちから動いていた。その幼少期の思いに従って動いた結果、犠牲になる人々を知ってしまったのです。しかしそれでも、進んでいくと。そこで懺悔のようにこう膝をつくシーンがありました。人助けもしていました。自分が将来殺す相手なのに、助けるところも共通しています。いずれその少年も殺す癖に何を思い上がって、これから暴力の限りを尽くす俺が、正義を気取っていいわけがないだろう、と思いながらも、つい、助けてしまうエレン、その姿はライナーがエレンに手を貸した方へと同じです。ただ進み続けるそれしかねえだろうと、その挫折しかけたエレンに手を貸していましたが、ライナーは、後にまたエレンのこの生活を脅かすような選択をしていく。半端なクソ野郎という発言もありました。俺もお前と同じだったよライナー、半端なクソ野郎だと。ライナーが正体沸かす時の発言をエレン思い出しています。俺はガキで何一つ知らなかったんだよ、こんな奴らがいるなんて知らずにいれば、俺はこんな半端なクソ野郎にならずに済んだのにと、いうこのライナーのセリフがエレンには、衝撃だったのです。それを踏まえた上で、いや違う、それ以下だって言っています。何がそれ以下かというと、犠牲です。この犠牲を意識した上で、助けていることがあるかなと、プラス立ち止まれるのに立ち止まらなかったところもあるでしょうし、このエレンとライナー、この二人の関係を見ていくと、よりエレン理解度が深まると思います。このエレンの過去のセリフが帰ってきました。ライナーたちに泣きかけていた言葉、一丁前に人らしく悩んだりしてんじゃねえよ。人間じゃねえんだぞ、お前らは。この世界を地獄に変えたのはお前らなんだぞ。分かってんのか、人殺しかと、ライナーとベルトルトに言うが、エレンも同じです。本当にクソ野郎だよ、人類史上こんなに悪いことした奴はいねえよと言うが、これら全て、エレン自身に帰ってくると地鳴らしをして、人類史上こんなに悪いことした奴はいなかったでしょうし、この世界を地獄に変えたのはエレンです。そういうセリフが帰ってくる。エレンが、最終的に決意を決定したところに、ライナーも絡んでいるのだが個人的な読みです。エレンが地鳴らし決定するまでのエレンのこの記憶ですが、未来の自分が記憶を送ってです、今やっていると。他の選択肢も検討した結果、これしか道がないと判断しています。そうすると決まっているこの先もパラディ島が生き延びる道が見つからなかったんだろうエレンは、進むことを決めたのですが、104期生を守りながらヒストリアの犠牲も避けて、さらにパラディ島を守るという、この他者のため、何とか動こうという気持ちでやっているのが一つ。その初期衝動的にがっかりしたし、全てを消し去りたいという自分の欲求もあったです。その二つを交えてです、地鳴らしをやるということをエレンは決めていきました。ただ、それをやった結果です、このラムジー少年のような具体的な被害者がいるということもエレンは当然ながら理解をしているので、まだ迷っていたし、苦しんでいたが、このレベリオ潜入時のエレンの状態、ごめんごめんと言っていた、エレンの偽らざる本心です。そこにライナーがどう絡んでいくのかというと、覚悟を決めるため、覚悟を固めるために、ライナーに会いに行った側面というのもあるのだと。このレベリオ襲撃する前に、わざわざこのヴィリーの宣戦布告の時に、エレンとライナー会話をしています。このライナーに会うことで色々と考えたかったと。そこにさらにヴィリーのこの演説ところも、重なってきたりします。先にヴィリーの演説見ていくと、ヴィリーが、言ってる言葉というのとエレンの考えは似ています。死ぬべきは俺たちエルディア人なんじゃないのか、壁の方が自身の道を選んだようにと、言っていました。ヴィリーも、この世界が直面する危機も全てはエルディア人が存在することによって、生じる危機ですと言っているので、ま理屈というか論理は納得できるのですが、論理は理解はできるのですが、感情的には、納得できない、結末、納得できないと思います。一方で、このヴィリーの方も、私は死にたくありませんという、自分のこの、思いというか、もので動いてる。それは私がこの世に生まれてきてしまったからですという。それを聞いて、そうだよなという気持ちで動いていきます。こちらはその宣戦布告会の、細かい解説あるので是非見てみてください。この言葉を聞いて、ライナーとヴィリーのこの発言から、エレンは色々と考えていきますで、子供エレンの自由になりたいとか、そのためなら消し去ってしまいたいという気持ち、一方で大人エレンのとはいえダメだよなとか、人を殺すのは良くないという良心理性なもの、それらで板挟みに、あっていくわけです。それを壊したのが、先ほど言った、ライナーの、俺がそうしたかったから、やってしまったんだというところだし、ヴィリーのこの死にたくない。それらの言葉が、このエレンの心情とリンクしていって、パラディ島の悪魔と共に戦ってほしいと明らかな敵の宣戦布告を受けたとしても、このエレンは、もう仕方ないような、の低感、諦めの気持ちというか進むしかないのですと、覚悟を決めた顔、切ない顔をしています。結果的に、建前理由免罪符が、できたことで、進むことを決意したと。子供エレンの気持ちに寄り添って、大人エレンのそういう気持ちも、人を殺しちゃダメだよなって気持ちもありながらも、エレンは進むことを決めたと。この辺り複雑ですがこのスリの少年助けたところ、宣戦布告と重ねてみると、エレンの見え方は変わってくると思います。次です、エレンとアルミンのすれ違いですが、エレン理解に一つ役立つです。この二人ですが、壁の外に出たい動機が微妙に違うのです。このアルミンの言葉、あの時お前の話を聞いて、お前の目を見るまではってエレン言うが、友達がいなかった二人が仲良くなったのは、この二人が共通の夢を持ったから、アルミンの言葉を聞いたからです。アルミンの方は、知的好奇心、この知的好奇心から海を見たいと思っていたのですが、一方でエレンは、その海自体というよりも、海があるのにそれを見る自由がないこと、これ自体に行き通りを感じているわけです。海そのものに興味があるわけじゃないのだと、読み返して思いました。炎の水でも、氷の大地でも、なんでもいい。それを見たものは、この世界で一番の自由を手に入れたものだという、言葉がありましたが、これ象徴的です。エレンからすると、なんでもいいところでうん、アルミンは、それぞれのものをしっかり見たかったのですが、それを見られる状況自体を、エレンは望んでいたということです。でも、二人のすれ違いが明確になったのが18話のウォール・マリア奪還作戦前のすれ違いです。このウォール・マリア奪還に成功したら、海が見られるという話をしていたのですが、あの再び壁の外にあるのは巨人だけじゃない、炎の水、氷の大地、砂の雪原、それを見に行こうという話を、アルミンはしますが、それに、このエレンの表情、ああ、そうだというなと。その頃の夢なんかをエレンは忘れてしまっているわけです。それに気づく、アルミン、この表情も切ないです。一コマ一コマで、察してしまうのです。しかしそれでも、そうじゃないかところで、会話としては成り立っていきますが、このすれ違いはもう、すでにこの地点で明確に描かれていたと思います。この輝く目ところもね一つポイントかなと思っていて、エレンが壁の外を目指すきっかけとなったアルミンの、目ですが、この時の子供の時のアルミンのキラキラした目と似たような目を、エレンがしたのはいつかというと、この131話で、地鳴らしをしている状況です。遮るものが何もなくなった、世界を見て、この子供のエレンは、純粋な目、同じ目をしている。こんな目、目の他に色々と対比表現も、エレンとアルミンはあると思っていて、例えば海と空です。エレンに海を見せようとしたアルミンに、エレンは、喜ばずにアルミンの方まともに見ていなかったのですが、一方で、アルミンにこう空を見せたエレン。ただ、アルミンも何してるのだのようなものでお互いに見せたい夢自体がすれ違っているというか、共感できずに共有できない、それらもあるのだと。血と罪。子供のエレンが大人のアルミンを呼んだときに、純粋無垢で血で汚れてない子供のアルミン、エレンと、罪を背負い血で汚れてしまった、大人のアルミンところも、この未知の世界において、明らかに対比的に描かれているなと思います。あと書籍です。海の捉え方がエレンとアルミンで違ったように、アルミンが幼少期に、祖父の本を見て夢を得たのと逆に、エレンは夢を、失ったというか、がっかりしてしまったのは、このグリシャの本を見てから、この本を見てから、がっかりしてしまった、この辺りエレンとアルミンという人物、すれ違ってしまう、切ない運命を背負っています。その他のエレンの分析ですが、自由の孤独です。この雲の上で自由だと話すエレンですが、残酷な現見えていないと、この雲というか、巨人の蒸気の上で、すべて隠されているわけです。子供エレンの、主観の世界で、この世界を見ていますが、この子供エレンにとっては、この状態は本当に良いものなのかというところはあります。今、脱線しましたが、子供エレンの1話性です。子供のエレンにとっては、壁の存在とか外の巨人が、自分の自由を妨げていること、これが許せないと思ったわけです。邪魔なら一匹残らず駆逐するしその延長線上で、巨人ではない外の人類だろうと、一匹残らずね世界そのものを、壊してやろうというか、邪魔するものを消し去ろう。この残酷なまでの1話性が凄いのですが、結果、求めた自由というか、その状態って何かというと、邪魔する人が誰もいない世界は、一人孤独に自由だと叫ぶ姿だったのです。不自由が誰か何かから、邪魔されることだとすると、自由とは、誰もいないこと、何もないこと、良くも悪くも、側面を守っているのではないです。割とこの世界崩壊もの映画とか好きですが、自由だという、何も邪魔するものがないぞという喜びと表裏一体で、虚無感を感じるのですが、その自由というもの、背負う、孤独さところも感じてしまう、一コマでした。先ほど言ったように、アルミンともそれは理解し合えないところもありました。次、エレンの見たあの景色ですが、これが確定ではないですが、道で、ジークにあの景色をと、記憶ツアーの後に語っていたのですが、この景色を目指してエレンは住んでいる、今回のエレンの発言、ついにたどり着いたぞ、この景色にと言っていますが、あの景色なのです。晴れ渡る空、視界を遮る壁がない雲の上ところで幼少期のエレンにとっての自由の象徴が、この景色だったのかなという可能性です。次、エレンとラムジーの話をする前に時系列を整理していきましょう。間違えているかもしれないですが、エレンがラムジー助けたのはいつなのかというところです、見ていくと、まず123話で、初めてラムジーが、ちゃんと出てきたとき、サシャの財布を盗んで、リヴァイたちが許す、シーンがありました。その後に、キヨミ様の別荘に行って、エレンがいなくなっていることに、気付くと。お昼の段話です。一方でその頃エレン何していたのかは、今回131話で語られていたと。夕暮れ時を描いているのは、時間経過を、示しています。この夕暮れの中で、エレンが一人歩いていって、ラムジー少年を見かけて、ごめんごめんと言っていたと。未来の記憶、先の記憶で見たことがあるという、表現をしていたのですが、俺はこの少年を助けるという、この後の言葉にかかっている、言葉です。このラムジー少年助けた後にごめんごめんと言うときの、このエレンの記憶が30話で、エレンが見た記憶の断片です。夕暮れ時です。エレンのことをミカサが発見したのが、話戻しまして123話です。31話のこの夜のシーンです。エレンがなぜか泣いているというところ。ところで、何だろう、ラムジー少年が、その後、エレンたちと宴会をするのですが、その時にエレンに親しげに接しているのは、リヴァイたちが助けてくれたからではなくて、エレンが暴行されていることを、救ってくれたから、親しげに接しているのです。個人的な、解釈です。アザが、これ消えていたりするので、殴られてアザついてたじゃんという話もあるので、違うんですが、こんな時系ですです。他の意見あればコメントください。次、ラムジーの話に、踏み込んでいきますが、ラムジー少年、名前が出て早速死んでしまいました。このラムジー・ハリルの兄弟ですが、まずラムジーの登場シーンです、おさらいすると、30話でエレンの記憶の断片で出てきて、これ誰だとなりました。31話で再登場してスリーをしていた。32話の130話のエレンの回想でも出ていたのですが、わざわざ、このエレンの回想で何度も出てくるというところは、エレンの地鳴らし、この明確な犠牲者の、象徴として名前が付けられた、ラムジー少年というキャラクターが存在すると思います。エレンと、ラムジーの会話ですが、これ分かりにくいのですが、エレン達の発言は、縦で書かれていて、このラムジー少年の発言は横で書かれているので、そのあたり注意してください。こっちだよと、指を指すラムジー少年の言葉は、エレンに通じていない、ただ、最後に感謝を告げる、ありがとうは、エレンに伝えることができたのです。我々も英語が喋れない人であっても、サンキューぐらいは言えるのようなものかな。その観点で見ると、このエレンが、ごめんごめんと、泣きながら喋っているところは、一切言葉が通じていないのに、ラムジーにごめんと言っている。だから、なんで泣いているの?は、このエレンに通じていないですが、一方で、エレンのこの謝罪というのも、ラムジーには通じていないところが、見えてきます。エレンが、被害者から加害者になっていきます。まず、思い出してほしいのが、1話の2話、超大型巨人が出現してエレンの日常が壊れたとき、ヒューと岩が降ってきましたが、これと明らかに重ねて、この131話では、ラムジー少年たちを岩が襲いました。動かない足ところもありました。エレンの母親が、足を潰されてしまったのですが、ラムジー少年たちも、足を潰され動けなくなってしまう。その辺り見ると、巨人の出現によって家族を奪われたエレンが、今度は、加害者となって巨人を使って他者の命を奪っていくという話です。この辺りが切ないところです。このエレンとラムジー少年の境遇というところで言っても、ラムジー少年にとっての壁は、の難民キャンプというか、閉じ込められている状況です。エレン同様にこの暮らしは嫌だし、自由になりたいと思って逃げるための手段、変えるための人生、変えるための手段として、お金を貯めていたのですが、その意思は、より強い自由を求める、エレンの力を持つエレンによって潰されてしまったという、初期から1話する弱肉強食というルールの上で、やられてしまった。勝てなきゃ死ぬと勝てば生きると言ってましたが、ラムジー少年たちは、勝てなかった。その辺りこのエレンが、今度は破壊者になってラムジー少年達の…
、生活を脅かしてしまうところの悲しさがあります。エレンが加害者であり、ラムジーが被害者であることには、間違いないですが、ラムジーかわいそうですにもう一歩踏み込むとです、ラムジーの加害者性ところも、あるのだと。まずラムジーの理想と手段ですが、当然ながら、難民キャンプの仲間を助けるためにお金を貯めること、これ自体は、不意を起こせなかった人を救うために、いいことですが、その手段はもう明らかにこの普通に犯罪者と言いますか、スリをした時も、悪びれてない感じ、純粋な、絵柄で描かれていましたが、あの手段としてはやってることはダメだと。ラムジーの選択という側面もあるのだ。まずラムジーの境遇ですが、移民として妨げられていて、ラムジーたちが手を汚さざるを得ないのは世界の問題ところもあったりするのですが、中で、ラムジー少年は不意を起こすためにお金を貯めていますが、この不意を起こすためにお金を貯めるという行為について、未来のために貯めたお金ですが、今使えば、救われる人もいるはずです。しかし、それでもまとまったお金を貯めてより多くの人を救うためにこの場所から抜け出す方を優先した。ミカサが以前、私が尊重できる命には限りがあると言うが、ラムジー少年たちも、不意を起こすために今死んでしまう人は、救うことを諦めてです、何かを選ぶことは何かを選ばないことだし、誰かを選ぶことは誰かを選ばないことだよなを、つい感じてしまいます。ラムジー少年もエレンも、自由を求めて動いていたのですが、ラムジーのこの様々な考えは最終的には、全て消えてしまったと、ラムジーの求めた自由は、エレンによって潰されてしまった。このお金を握りしめて死に行くところも、を得ようとした自由への片道切符を、潰されてしまったような感じもしました。次、話全然変わりまして、アニとアルミンの恋愛ですが、突如、アルミンが実質的な告白をしました。前半のこの人がどんどん死んでいく状況とは全然違うんですが、アルミンの恋心ですが、気になるのが、エレンが言ってたこの一言です。お前の脳はベルトルトにやられちまった。敵に操られているのはお前だろうが。頭はベルトルトを思うのです。どうなのかというと、これ賛否あると思いますが、アルミンの元々持っているアニのことを好きな気持ちが、ベルトルトの記憶を得ることで増長された形です。アルミンとアニのこのやりとり見ていくと、あの時僕を殺さなかったから今こんなことになってるじゃないかと、アルミン以前女型の巨人に殺されなかった時のことを言うが、アニからアルミンへの好意ところがまずあったとか、アニがあんた弱いくせに根性あるからアルミンがアニってさ実は優しいよねと、お互いのこの人間性を理解し合うような言葉も言っていたりしたので、この訓練兵時代からお互いに恋愛感情と呼べるまではっきりしたものかは分かりませんが、好意はあったという認め合っていたところはあったです。アルミンとアニの恋愛で考える上でミカサとエレンの恋愛についても考えていこうです。ミカサは私にマフラーを話いてくれてありがとうと、エレンに言っていたのですが、アニの方も、私に話しかけてくれてありがとうとアルミンに言っていました。この辺りは恋愛という観点で見ると、ミカサとまともに話せなかったエレン、それにアニと話し合えたアルミンという対比もあるのだと。アルミンの良い人という発言です。前にも言ったけど、良い人って言い方が嫌いだとアルミン言っていました。その言い方は僕はあまり好きじゃないんだ、アルミンにとって都合の良い人をそう呼んでいるだけのような気がする、全ての人にとって都合の良い人なんていないと思うというこの発言が再びです、使われていました。アルミンにとっての良い人だったアニだったわけですが、もう一個気になるのはこの化け物発言です。良い人ではなく化け物と自分のことを自認しています。多くの人を殺して僕もとっくに化け物だよと言っていたこのアルミンの心理ですが、アニが自らのことを化け物と呼んだこと、これに優しさから、自分も化け物だよとにじみ寄ったというか、表現なのかなと、いつ目を覚ますかわからない化け物の相手をすることも同じでしょうとアニは言っていたのですが、それを受けてです、僕もとっくに化け物だよと言った、アルミンの優しさでもあります。アルミン優しさだけだったのかというと、そうことも言い切れないです。アルミンにアニが言っているように、いつ目を覚ますかわからない女型の巨人の相手をすることも争いを避けるためでしょうと聞いていますが、これに、アルミン実は明確な否定をしていないです。完全な行為を伝えるだけじゃなくて、の打算とかところも、賢いアルミンなので働いている側面もあるのだと。長くなったのですが、小ネタを、最後にサクサク言っていきます。まずユミルの謎です。ユミルちゃんなぜかこのラムジー少年達の姿を見ていました。どんな気持ちか、わからないですが、死とユミルを通じてラムジーの死をエレンが最後に見ている可能性もありますし、ユミルにとってのこの謝罪というか、ごめん、ごめんとエレンが言った後、ごめんなさいというセリフがあるのですが、このセリフ実はエレンではなくてユミルのセリフの可能性もあります。自分がそれを望んだばかりにこうなってしまったんだという、見ていたのです。最終話まで読んだ上で、改めて考えていった方がいい話です。あとはサブタイトル地鳴らしの意味です。まさかのそのまんまのタイトルだったのですが、地鳴らし、パラディ島の壁巨人たちを使って世界を滅ぼすというものです。漢字が、地面を鳴らすという漢字ですが、地面を鳴らすというか、フラットにするという漢字ではないです。地面が鳴る、地面が泣いていると、今回ラムジー少年たち言うが、そことかけていて、この肝心の地鳴らしです。この涙というところで言うと、今回エレンのこの涙というところの皮膚、涙の皮膚としての地面が泣いている。地鳴らしというタイトルをつけて、このラムジー少年たちが死んだことは意味がありそうです。例えば戦争と聞いても、ふわっとしたイメージしかできないです。戦争映画で、具体的に戦って死んでいく登場人物がいると、その言葉を、リアリティー持って我々人間は感じられると思いますが、130までは実はこの具体的にやられた人間描かないです。船がやられたりだとかをしていて、この時点で死んでいる人はいますが、それが直接的には描かれず、今回です、地鳴らしの具体的な被害者として、ラムジーたち、名前のある人が死んでいくことでそれを描いている。事故で1万人死にましたと聞くよりも、何々さんが死んでしまいましたの方が、リアリティー持って苦しさがあると。見ず知らずの人ではなくて、酒を飲み交わした、このラムジー少年という個人が死んでいくこと、希望を握りしめたまま、叶わぬ夢と共に死んでいくこと、逃げ場もなく、死んでいくこところを見て、地鳴らしは本当に被害者がいる、ひどい行為ですところを実感させられます。さらには、このエレンが母親の姿を思い浮かべるところなんかでも、母さんはどう思うと母親のことを思いながらも、この親子が死ぬということは、この世に生まれていない子、この世に生まれてしまったエレンが、これから生まれる子の生命を、可能性を奪うところでエレンの加害者性というところが強調されてます。その子は、エレンのようにこの世界に関して何か思う権利すらなくて、殺されてしまうんだよなというところは、虐殺は許されない行為ですと、再認識させられる、それが今回の地鳴らしというサブタイトルと描き方だった。そのほか細かすぎて伝わらないネタですが、まず巨人の足です。凄い小さいのですが、明確に描かれているので、ぜひ見てみてくださいが変ですが、見てみてください。次です、巨人の造形の残酷さで、こちらコメントでいただいた意見で、なるほどなと思ったのが、巨人の足の底です、土踏まずが実はないです。その結果、地鳴らしを、しっかりとできるとプレスキのように潰す描写があると。諫山先生初期の頃から意図して、こんな巨人の足の形にしていたと。土踏まずもないし、よーく見ると、指もコンパクトになっていて、潰すのに特化されている形です。こんなこの造形を描くところも残酷です。あと花です。進撃の巨人の世界では不思議な出来事の象徴として花が描かれるのですが、地鳴らし巨人たちが踏みつける足元には花が描かれていたこの辺りもアニメで保管されて何かあるのだと。4つ目です、ラムジーの元ネタですが、サッカー選手が元ネタそういう声をいただきました。諫山先生小学校時代サッカークラブ入っててサッカー好きなのかなとかいう、ゲームオブスローンズのひどいキャラクターである、ラムジーというキャラクターが、そのラムジーの名前を拝借したのかなと、ひどくない普通のラムジーとして、進撃の巨人の世界に転生して描いているのです。
進撃の巨人131話『地鳴らし』の感想・ネタバレ
進撃の巨人131話『地鳴らし』の感想動画
関連記事
131話『地鳴らし』 | |
132話『自由の翼』 | |
133話『罪人達』 | |
134話『絶望の淵にて』 |