【進撃の巨人】第119話『兄と弟』考察・解説・感想【ネタバレ】

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進撃の巨人119話『兄と弟』のあらすじ

鎧の巨人・顎の巨人は、エレンとジークの接触を阻止するために、戦い続けていた。
追い詰められたジークは「叫びの力」を使って、パラディ島民、更にはファルコを巨人化する。
力を使い果たしたポルコは、ファルコを助けるために、ファルコ巨人に自身の身を差し出して死亡する。

エレンがジークと接触する直前に、ガビはエレンを撃ち抜き、エレンの頭が胴体から分離する。

【時期】854年
【場所】パラディ島シガンシナ区

進撃の巨人119話『兄と弟』で発生した伏線・謎

Qエレンがジークの巨人化に対して「待て」
(30巻119話)

A
(30巻120話)

関連進撃全話の伏線・謎まとめ

残された謎

Q
(30巻119話)

A
(巻話)

進撃の巨人119話『兄と弟』で解決した伏線・謎

進撃の巨人119話『兄と弟』の表現・対比

進撃の巨人119話『兄と弟』の考察・解説

進撃の巨人119話『兄と弟』の考察・解説動画

3組の「兄と弟」

ジークとエレン、コルトとファルコ、マルセルとポルコの3組の兄弟が登場します。それぞれの兄弟は皆、「弟を守りたい」という共通の願いを持っていました。

1,ポルコを巨人化能力を継承させずに長生きさせようと裏工作していた亡き兄のマルセル。
2,ファルコのために「叫び」を阻止しようとする兄のコルト。
3,エレンを救うために「叫び」を使おうとする兄のジーク。

コルトとジークの願いは対比構造となっており、その願いはジークのものしか叶いませんでした。ジークは叫びの能力を使ってファルコを巨人化させ、コルトは死亡します。
ジークの表情を見てもコルトの思いも理解しているため、言葉にならないほどの苦渋の決断だったことがわかります。
進撃の巨人のテーマである、「残酷な世界」、そして「自分が何かを得ることは、他の人が何かを失うこと。それでも選択して自分のために進んでいかなければならない。」ということが表されています。

ポルコがマルセルの記憶を見る

今回なぜポルコがマルセルの記憶を見ることができたのか考察します。
ポルコは過去にライナーと接触していたでしょうし、エレンに嚙みついたこともあります。
今回起きていたことは3人が同時に接触したことです。エレンの始祖の記憶の力がマルセルの死と関係の深いライナーを触媒としたことで記憶が蘇ったと考えられます。
そして、ポルコは「これではっきりしたよな」「俺の方が上だってことが」と言い残し、自らファルコに身を差し出し命を落とします。
顎の巨人は自己犠牲や献身の精神を持つ人間が継承していました。過去の継承者であるマルセルとユミルは誰かを守るために行動し、そして死亡しました。
2人の意思はポルコの行動にも影響していたのかもしれません。

戦士候補生の中で唯一、「巨人」を手に入れられなかったポルコは自分がライナーより上だったことや自分を守ろうとした兄マルセルの気持ちを知ります。
そして、ライナーとのわだかまりが解消されたとも考えられます。

エレンとライナーの相互理解

ライナーは12巻50話「叫び」において「この世で一番それを持ってちゃいけねぇのは…エレン…お前だ」と語っています。
そして、25巻の地下室での会話でもエレンがライナーに「お前と同じだよ」とか「お前…ずっと苦しかっただろ?」などといった会話を見るにお互いを理解している関係です。
エレンなら「地鳴らしをするだろう」とライナーだけが予感できていたと思います。

音のない世界の演出

ガビがライフル銃でエレンを狙撃するコマ付近の音がなくなる演出に注目してみてください。
スローモーションで一瞬、一瞬が過ぎていく様子がまさに映画的と言いますか、非常に洗練された演出となっています。周囲の人々が戦っている中で効果音も無く時間だけが過ぎていく…というような描写です。
ちなみに12巻50話「叫び」でも同じ演出があります。
ダイナ巨人が現れてハンネスさんが食べられた後のミカサの「マフラーを巻いてくれてありがとう…」付近のシーンです。
是非、見返してみてください。

キャッチボール=願いの象徴

今回はエレンの首をジークがキャッチできるのか?という不穏なシーンで終わります。次ページの第120話「刹那」をちょっと見てしまうと…エレンがボールをキャッチできていないシーンがあります。
このシーンは29巻115話「支え」にて安楽死計画について相談するジークとエレンの回想シーンです。
エレンが安楽死計画に賛同した後、ジークが涙ながらにクサヴァーさんとのキャッチボールのシーンを思い出し、「固い握手でも結びたいところだが」「今接触するのはマズイよな…代わりにこれを受けとってくれエレン」と言ってボールを投げます。
このボールはクサヴァーさんから受け継いだ安楽死計画の意思であり、コミュニケーションの象徴やジークからエレンへの「願い」の象徴です。
しかし、120話でボールはキャッチされなかったことが分かります。
つまり、こぼれ落ちるボールは信頼の欠如を表し、エレンの裏切りを暗示していることが分かります。

更に言うと発見して驚いたシーンがあります。
今回、コルトの願いはジークに受け入れられなかったですよね?これ、実は伏線らしきものがあることが分かりました。
24巻98話「よかったな」でコルトがジークにボールを投げているシーンがありますが、明らかにジークがキャッチできていない描写があります。
この一連の話しを見てもボールは信頼の証であり、願いの象徴という観点から見直すと24巻の時点でコルトの願いは叶わないことが決まっていた予想できます。
こじつけかもしれませんが、そんな風に読むと非常に面白いと思いませんか?

サブタイトル『兄と弟』の意味

3組の兄と弟。ジークとエレン、コルトとファルコ、マルセルとポルコ。
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察

ポイント

サブタイトル、アニと弟がそのものズバリの話でした。ファルコという弟のことを思って叫びを使わないでくれと頼むアニのコルト。エレンを救うために叫びの力を使おうとするジーク、この2人がまず対比構造としてありました。さらには、自分の顎の巨人の記憶を見てポルコを巨人化しないために裏方策をしていたマルセルアニという、この3つの兄弟関係が一気に描かれていたのです。しかしジークは叫んで人々は巨人化してしまう。弱肉強食、世界は残酷だという感じでした。それぞれ、ファルコとコルト、エレンとジーク、ポルコとマルセルという兄弟がいたのですが、世界が残酷なので弟を生かしたいというアニの気持ちは叶えられなかったのです。別の人の弟を生かしたいという気持ちを知りながらもジークは、自分の弟を生かしたいという気持ちを優先したと。残酷な世界ゆえにどれか一つの願いしか叶わなかったという話です。まさにこれ進撃の巨人でずっと描かれてきた、自分が何かを得ることは他の人が何かを失うことだというテーマともまさに一致しています。それでもなお選択して自分のために進んでいかなければいけないと分かります。この時のジークのこの表情なんか見ると、本気で苦悩をしています。言葉にならないこの苦渋の決断だったが会話見えます。最終的にその巨人化してしまったファルコを助けるために、ポルコが自分の身を差し出すんです。マルセルの思いとかを知ったからです。ではっきりしたような最後まで俺の方が上だってとライナーへのわだかまりの解消もありましたし、とはいえ何よりこう自己犠牲の精神というところが受け継がれたからです。マルセル、ユミル、ポルコという顎の巨人の継承者たちはみんな誰かを助けて最後は死んでいきました。ポルコを思うこのマルセルの気持ちがポルコのその献身的な行動に影響したと思いますし、ユミルの気持ちというのも影響していたと。ユミルは、ポルコに大層な名前をつけられた哀れな女だ、兄貴の顎を返してくれたのもあの女の意思だろうところで、哀れな女とかと言われていますが、このユミルの献身の心というのも影響しているところが垣間見えます。ユミルは非常に優しいキャラクターですが、その辺はまた別の動画で語っているので概要欄から見てみてください。二つ目です、キャッチボールの伏線、これ気づきづらいところですが、まず最初に29話のエレンとジークのマーレ国での会話です。二人が密会をしていた時に、安楽死計画、賛成してくれるかエレンと聞いて、もちろんだよアニさんとエレンが答えるのです。その時にジークの能力をよぎったのは、クサヴァーさんという、自分の恩人であるクサヴァーさん、父親のように思っていた彼とのキャッチボールの姿でした。片握手でも結びたいところだが、今俺たちが接触するのはまずいような代わりにこれを受け取ってくれ、エレンって言ってボールを渡したのです。このボールはクサヴァーさんから受け継いだ安楽死計画のその意思でもありますし、ボールというところでコミュニケーションの一つの象徴です。信頼の証ともとれます。ジークからエレンへの願いの象徴でもあるかなと思いますが、この話で実はわかった、この次の話で厳密には、わかったのが、このエレンはこのボール拾ってなかったというところです。この辺りが30話の一つの見どころですがこぼれ落ちるボールは、二人のこの信頼の実は欠如を表していますし、エレンの裏切りところを暗示しています。だけなら多くの人が気づいたと思いますが、少しうがった見方をすると、119話の最後、エレンの首をジークがキャッチできるのかというところで終わっています。エレンの首が吹っ飛んでしまって、ジークがそれをキャッチできるのかところで119話が終わる。その後に120話の冒頭で、この描写です。この描写から始まるところで、エレンの頭をジークキャッチできないんじゃないのかそういう不穏さが、119話、120話と通じて読むと分かります。さらに言うと、これ少し発見してびっくりしたのですが、今回、コルトというアニの願いが、ジークは受け入れなかったです。コルトが、叫びをするのやめてくれとジークに言ったのですが、ジークは叫びをすると、だから残念だと言って叫んだという描写があったのですが、これです、実は伏線らしきものがあって、進撃の巨人24話のキャッチボールの描写です。この描写を見返すと、コルトが、ジークに向かってボールを投げてるのですが、ジークは明らかに取れていないという感じでした。この一連の話、そのボールは信頼の証であり、願いの象徴という観点から見直すと、実はもう24話事前でコルトの願いをジークが受け入れないは一つの伏線のように、描かれていたが会話が見えます。ここは、少し強引に結びつけたところかもしれないですが、その様に読むと、より面白いです。次、ガリアードの記憶はなぜ見えたのかというところです。ガリアード、マルセルの記憶をついに見たのですが、なんでこのタイミングで見えたのかが少し気になりました。さすがに、ライナーとガリアードは過去にも触れているはずです。一緒に住んで、マルコクにいるので触れているはずです。さらには、ガリアードがエレンに噛みついたこともあったので、ガリアードとエレンの接触というのもすでにあったのです。しかし、このタイミングでなぜか、ガリアード、ポルコ・ガリアードの記憶が見えたのですが、エレンを介してライナーと触れている、この3人が触れ合っているからです。エレンとライナーは特組合になっていて、そのライナーの手がガリアードに触れていて、それによって記憶が出てきたという、少し複雑ですが、始祖の記憶の力が、始祖の巨人の力がガリアードに流れ込んできた。しかも、自分と関係の深いライナーです。マルセルの死と関係の深いライナーがいたことによって、それが触媒となって、記憶が蘇ったという感じがします。その死ぬ間際といいますか、マルセルの記憶をポルコは見たのです。本当はお前は戦士に選ばれるはずじゃなかったのに、俺がお前を持ち上げたり、弟を貶めたりして軍に臨床捜査した。俺は弟を守りたかったという、マルセルの気持ちがポルコに伝わります。この真相が分かっていた中で、ポルコは、戦士候補生の中で唯一、巨人を手に入れられなかったのですが、自分がライナーより上だったこと、本来は。さらにはこのアニが弟を守ろうとしていたところが、分かったという展開になっていました。次、ライナーのエレン理解です。ライナーがこんなことを言っていました。この世で一番それを持っていちゃいけねえのは、エレン、お前だと。25話のエレンとライナーの近い室での会話、お前は俺と同じだなど、会話を見るに、この二人は、お互い理解し合っている関係です。ライナーは、エレン、あいつはヤバいやつだって。地鳴らしするだろうと、ライナーだけが予測というか、予感できていたわけです。ジークが叫びを発動しようとするのを、エレンが止めようとしているような描写もありました。叫ぶ直前に、待てとエレンは語ります。を唯一見ていたの誰かというと、ライナーです。エレンはファラディ島の人々が巨人化するのを、無意識にこれ多分止めてしまったと思います。ファルコなんかにも、ジークの脊髄液を飲んだファルコなんかにも、以前長生きしてほしい、君はいいやつだからと言っていたので、彼らを犠牲にしたくなかった気持ちは、絶対あったはずです。無意識にそれが出てしまった。それをライナーだけが聞いている。ところでここが一つポイントなのではないです。この描写です、エレンの本心なんのです。マテという、止めたい気持ちです。マーレ編以降ってエレン何考えているか分からないキャラクターですが、このマテって描写と、アルミンとミカサと話した時に、アルミンに奴隷はどっちだよって言われた時に、誰が奴隷だと怒った。そこら辺が唯一、数少ない感情が現わんなった。エレンの本心なのではないです。もちろん、ジークに、マテは、目的達成が全てならば絶対に言わない方がいいセリフです。叫んでもらって、自分の窮地を助けてもらうことによって、目的を達成する地鳴らしなのか、何なのか分かんないですが、それを達成した方がいいです。でも、ついマテと言ってしまったところでエレンは、元々の、忍者みたいなところというのも、優しさみたいなところも、持っているというところがここから分かります。最後少し想像ですが今、師祖の状態になったであろうエレン、このエレンの気持ちに辿り着くのは、ライナーなのではないかなが思います。その辺りはこの、マテを聞いていたのが、ライナーだったので、これが、実は今後の展開影響するのではないかなが個人的な想像です。5つ目、音がなくなる世界です。エレンが撃たれる直前です、ガビが銃を、ライフル銃でエレンを撃つんですが、このコマ付近で音がなくなる演出を是非注目してみてください。スローモーションで、一瞬一瞬が過ぎていく、何故になんかこう映画的と言いますか非常に洗練された演出が漫画でもされていました。進撃の巨人12話でも実は同じ演出があったのです。ミカサとエレンが、カルラ・イーターを前にして、エレン、聞いて伝えたいことがあると、ミカサが語るとき、この時も、実はこの周囲の人々が戦っている中で、顔もなく、時間だけが過ぎていくていうような感じの描写があったのです。ダイナ・フリッツに触れて、エレンは助かるわけですが、この辺りです、是非見返してみてください。最後、小ネタ3つほどあります。1つ目、ピクシス司令の最後です。人間としての最後ですが、お酒を飲みながら死んでいきました。お酒を止めてくれる人が、今この時、近くにいなかったのかなとか、ピクシス司令の近くにいる女性陣はどうなったのかなが、気になったとこですが、いずれにせよ、この最後の瞬間を、好きなお酒ともに過ごせてよかったなというのと、受け入れるというか、諦めるというより、受け入れる、自分の人生受け入れてる感じが、この最後のコマからするのが、非常によかったです。ナイル・ドークも、最後まで戦いながら、巨人化してしまったりしたのですが、みんなが嫌いなローグも、巨人化しているという描写がありました。次、ファルコの意志です。ファルコは、ライナーを食べようとしたのですが、やめて、ポルコを食べたのです。死に場所を探そうとするライナーは硬質化を解こうとしたが、ライナーは死ななくて、ポルコは代わりに食べられたと。ここでの注目は、ファルコは元々ジークに、ライナーを倒せと命令されたのです。ライナーをやれって言われていた。それなのに、ポルコの方に向かうところで意志力に打ち勝ったと、このジークの命令に、無垢の巨人となったファルコは打ち勝ったと。それはなぜかというと、ライナーに助けられた恩義があったから、ライナーを殺したくないという気持ちがあったと。コニーの母親が、お帰りとコニーに言っていたように、無垢の巨人とはいえ、強い意志を持っているときは、それが発揮されるということです。その助けられたのは、このブラウン副長、あの時身を挺しておれおって言ってた、レベリオ収容区でのことです。そこら辺が影響しているところです。もちろん反論としては、一回食べようとしてるじゃんというのもあるので、少し微妙なところですが、その様に考えるといいのではないです。最後です、ライナーのポルコの呼び方。ライナー実はポルコのことを、ガリアードとずっと苗字で呼んでいました。しかし、この最後の時です、ポルコと呼んでいる、ここが119話で呼び方ところでそのライナーのポルコへの気持ちというところが明らかになっている、少しした演出というか表現ぜひ見てみてください。

進撃の巨人119話『兄と弟』の感想・ネタバレ

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