【進撃の巨人】第134話『絶望の淵にて』考察・解説・感想【ネタバレ】

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進撃の巨人134話『絶望の淵にて』のあらすじ

地鳴らし4日目(世界の様子)

パラディ島ではヒストリアが出産。
オニャンコポンの故郷と思しき国、東洋の国など、世界中の人々が、地鳴らし巨人に潰される。
死の間際、赤子だけでも生かそうと人々は言葉もなく、命のリレーを繋ぐ。

地鳴らし4日目(スラトア要塞)

スラトア要塞から飛び立った飛行船部隊の最後の攻撃は失敗。
そこに駆けつけたのは、アルミン達の飛行艇だった。
エレン巨人、そして獣の巨人に立ち向かう。

【時期】854年
【場所】パラディ島

進撃の巨人134話『絶望の淵にて』で発生した伏線・謎

Q今までと異なる「獣の巨人」の姿
(33巻134話)

A
(34巻135話)

関連進撃全話の伏線・謎まとめ

残された謎

進撃の巨人134話『絶望の淵にて』で解決した伏線・謎

進撃の巨人134話『絶望の淵にて』の表現・対比

進撃の巨人134話『絶望の淵にて』の考察・解説

進撃の巨人134話『絶望の淵にて』の考察・解説動画

サブタイトル『絶望の淵にて』の意味

地鳴らしで世界が滅ぶ絶望の淵にて、人類の行動が描かれる。
逃げる人、祈る人、見ず知らずの赤子を救うため命のバトンを渡す人々。
関連進撃全話のサブタイトルの意味を考察

ポイント

一つ目が、ヒストリアの出産です。まずヒストリアの父親、その子供の父親ですが、この元石投げ少年サスペンダー男です。この出産の現場に立ち会っていましたし、本気で、祈っている感じをしたと。ヒストリアが騙す可能性も薄そう。エレンなのではないかという声もあるのですが、意見が、あればぜひコメントください。次です、生と死を対比的に描くところです。このヒストリアの出産、地鳴らしで踏み潰される人々というところがありましたが、赤子のこの姿というのも象徴でございます。赤子のこの姿というのも象徴的です。生と死を、明らかに対比的に描いていると。この母親も生き延びるわずかな可能性にかけて、でも長生きしてほしくて、子供を後ろに放り投げ死に行くところで踏み潰されそうな状況でも、次世代の希望である赤ちゃんは守ろうとする。受け継がれていくと。この子だけでも生き延びてくれという。人間が無意識に感じるものなのかなと思いました。人類に残された希望というか未来の象徴である子供は、大切にしなきゃいけない。ただ一方でこの、後ろには、死の影が忍び寄るところで生と死のこの対比的に描くところが、印象的でした。あと地鳴らしの無差別性です。改めてエレンがしている地鳴らしとは何かは、老若男女が抵抗もできないまま死んでいくと、世界中の人々の様子が描かれていましたが、肌の色が黒いので、オニャンコポンの故郷な気もしますが、あったり、ヒィズルっぽい、日本っぽいところなど、もう世界中の様々な人が、死んでいくと、祈ったところで何も変わらない状況です。その中には、家族を助けたい純粋な子供もいるし、戒心する、大人もいますが、まとめて踏みつぶされてしまうところが、改めて、今回地鳴らしで描かれていました。次、親と子の物語です。こちらが一つドラマチックなところかなと、子供を道具として見ることの罪深さというものは、進撃の巨人に通じて何度も描かれていました。例えばこのグリシャとジークです。エルディア復権派の使命のために、グリシャはジークを戦士にしようとしていたのですが、ジークの気持ちを無視した行為だった例えば、象徴的ですが、キャッチボールをしたいジーク少年に、グリシャは聞く耳を持たずに、たくさん勉強しようと言ったりしていました。同様に、アニの父親とアニも同じような関係で、自分の生活のためにアニの父親は、アニを戦士にしていったわけです。結果、感情を表に出さず、自分含めて命に価値があるとは思えないように、アニはなってしまったのですが、この教育というのもの間違いだったというのに話されました。同様に、カリナとライナーです。この2人というのも、カリナは自分の復讐の道具として、ライナーのことを育てていたということは、カリナ自身認めるところがありました。あの子をずっと復讐の道具にと言っていました。カリナ自身はエルディア人で、マーレ人の父親と恋に落ちて、子供ができたことを発覚して、この父親は消えていったわけですが、このカリナにとっては、それは間違いだったと。エルディア人シングルマザーとして子供を育てるのは大変だったはずですが、その理由を、この状況に求めたわけです。こんなに大変不幸なのは、エルディア人であるから迫害されるし、見捨てられる。さらに言うと、パラディ島のエルディア人たちが見捨てたからところでそういうのもあってです、他のエルディア人よりもかなり強くパラディ島の人たちが見捨てられるところでパラディ島のエルディア人よりもかなり強くパラディ島の悪魔を憎んでいました。マーレ国のエルディア人を捨てたパラディ島の悪魔たちへの復讐、自分を捨てたライナーの父親への復讐ところで復讐の道具、不幸な現実を変える手段として、ライナーを戦士にするように導いた側面はありそうです。当然ながらライナー自身の優しさとか、母親のためになりたい、名誉回り人になって母親と父親が暮らせるようにしてあげたいという気持ちはあったんでしょうが、そうを誘導してしまった側面というのもあるです。だからこそ、今回またカリナも復讐の道具にしたと気づけたということは、グリシャが、ジークにしてしまった教育の過ち、アニの父親がアニにしてしまった教育の過ち同様に、一つ、この親と子の物語では外せないポイントでした。3つ目、見守るマーレ人です。進撃の巨人の2つのテーマとして、憎しみの連鎖を断ち切るのは大人の責任、子供を道具として見てはいけないというものがあるです。この憎しみの連鎖は、サシャの父親が、以前ガビに語っていました。過去の罪や憎しみを背負うのは大人の責任だところで憎しみは世代を超えて連鎖していくと止めるのは大人の責任が再びです、今回もここで私達の怪物との別れをという発言で分かります。憎しみが生み出したエレン巨人の存在、さらには心の中にある憎しみ偏見差別を捨てよう。すぐには解決できないし、全員同じ考えではないと。司令官以外の生存者の恨みは当然ながらあるです。ただ、それを解決していこうよという方向性です。出られなくても出ようとし続けるのだとニコロも言うが、全てを一瞬で解決する魔法の杖はないので、出続けようとすることが大事だよねが一つキーワードです。先ほども言った親の教育ところも進撃の一つのテーマです。この次世代大人達の教育が子供の価値観を形成していくところでエルディア人は汚れた悪魔の末裔、名誉回り人になるために動かなきゃいけないという発言を親たちはみんなしていたのですが、憎しみの連鎖を大人の世代で断ち切ること、子供を道具にしないこというところが進撃の巨人のテーマです。この演説のシーンですが、人間らしさもありました。このカリナが自分の過ちに気づいたところと合わせてです、これに関して思ったところで言うと、罪深さに気づけて良かったって反面、ライナー少年のその反省でどれだけ苦しんだと思ってるのだという、した悲しみと怒りもあります。この司令官の演説も、絶望の淵で死にそうになって初めて自分が悪かったとなるのが人間です。憎しみとか偏見は良くないという方向に物語を通じて向かっていったのは良かったのですが、これが人間かと、勝手だよなと危機が去っても同じこと思えるのとも思うところはあります。状況の中でライナー達がやってきたわけです。地鳴らしを止めに英雄になりたかったライナーがついに世界を救う光景が出てきたと。あの子を復讐の道具にした生きているそれだけでいいと、そう悟った、そう語ったカリナの前で息子が命を懸けて戦うは、なんとも皮肉な状況で燃える展開の反面です、複雑な気持ちもあります。最後、小ネタいくつかの話です。まずアッカーマンとオニャンコポンの危機です。獣の巨人の投石が来る直前、ゾワッと渡してアッカーマンの危機察知能力、これによって何とかギリギリ避けることができました。飛行艇のこの足が折れてしまったオニャンコポンピンチですと1つポイントです。次、アルミンとエレンです。アルミンがもう一度嫌な質問してやるよ。君のどこが自由なのかって言って。最後のセリフだったのですが、これ実は単行本で変更されていました。こっちが本紙で単行本だと、もう一度質問させてくれ。君のどこが自由なのかって言ってね。このゲスミン要素が減ったというか、嫌ミン要素が減ったのです。何か、質問って何かというと、幼馴染3人とガビが話していた時です、ミカサを傷つけることが君が求めた自由かどっちだよ。クソ野郎に屈した奴隷はというこのセリフのことを言っているのではないです。幼馴染で、対等なアルミンだからこその質問。自由に囚われている不自由さところもエレンにはあるのではないかセリフだったと。あと空からの攻撃です。23話のマガトとマーレ元帥の会話を見ると、この我が巨人兵力は当分の間陸上戦においては無敵ですが、航空機はまだ発達していないという発言がありましたで、ドラムタンを脅すのが限界だったのです。この1911年あたりに飛行機による史上初の空爆があったという、ウィキペディアの情報もあるので、進撃の巨人の世界観的には、この攻撃が精一杯だった。

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