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映画『ジョーカー』とは?人気映画のあらすじと面白さ【ネタバレなし】
ネタバレ無しの映画ジョーカーのあらすじです。
ジョーカーのあらすじ
「どんなときでも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、コメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサーの物語です。
アーサーはピエロの大道芸人をしながら、母親を介護し、同じアパートに住むソフィーという女性に密かな好意を抱いています。
アーサーをとりまく環境は悲惨です。
彼にはお金もなく、母子家庭の中で母親の介護も一人でしている、さらには不況のせいで市の補助も出ない状況です。
さらに「笑ってはいけない状況で笑ってしまう」という障害も持っているため、周囲と人間関係を築くことも、仕事につくことも難しい。
上司にはののしられ、同僚にも馬鹿にされ、子どもたちにもボコボコにされる。
まさに、悲劇。
そんなアーサーが、恐ろしい悪人である「ジョーカー」になるまでの物語です。
ジョーカーは2019年公開のアメコミ映画(事前準備は不要)
このジョーカーという作品は2019年10月に公開されました。
バットマンシリーズのヴィラン(悪役)であるジョーカーの話です。
ただ、バットマンシリーズを見ていなくても楽しめます。
アメコミ映画と聞くと、アベンジャーズシリーズのように、事前に見るべき作品がありそうですが、大丈夫。
一つの映画として完結しているので、何の前知識無しでも見に行けます。
主演はホアキン・フェニックス、監督はトッド・フィリップス、金獅子賞も受賞
主演のアーサー・ジョーカー役はホアキン・フェニックス。
監督はハングオーバーシリーズでおなじみのコメディの名手トッド・フィリップスです。
アート系映画で名高いヴェネツィア国際映画祭の最高の賞である「金獅子賞」も受賞しています。
アカデミー賞ノミネートも間違いない作品です。
このジョーカーという作品、ネタバレ無しで語るのは非常に難しいです。
ということで此処から先は、ネタバレありで、作品の考察・解説をしていきます。
1.アーサーのコンプレックスとはなにか?
2.アーサーが「悪魔」となった件
3.笑いとはなにか?
などを語っていきます。
映画『ジョーカー』の考察(ネタバレあり)
それでは、ここからはネタバレありで映画ジョーカーの考察です。
アーサーの生涯とコンプレックス
まず、アーサーという人物について深堀りしていきましょう。
アーサーを演じたホアキン・フェニックスはこんなことを語っています。
「僕が確信しているアーサーの真実は、子供の頃にひどい目に会ってかなり深いトラウマを抱えているということ」
「それがアーサーというキャラクタを作り上げる上でのスタートだった」
「襲われた時に凍りついて自己防衛も何もできないフリーズモードに入るのは、彼に深いトラウマがあるから」
アーサーが精神病院に行って確認したように、彼はこどもの頃に虐待を受けていたんですね。
そのせいで、脳に障害を負って「笑ってはいけない時に、笑ってしまう」ようになりました。
さらに彼の書く文字を見ると、彼は「知能レベル」が低い。
いわゆる普通の事務職につくことは「笑ってしまうこと」を抜きにしても、難しいことが分かりますね。
地下鉄で覚醒するジョーカー
そんな彼に転機が訪れたのは、地下鉄でのシークエンスですね。
アーサーの目の前で酔っ払いの証券マン3人が女性に嫌がらせをしている。
それを見て彼は、目が離せなくなる。
この場面は、主演のホアキン・フェニックスいわく
「その男たちに魅了されてずっと眺め続けている」
「男がどうやって女性と話せば良いのか理解してなかったから、女性に声をかけるにはああやるんだ」
と考えていたそうです。
非常に「子供のような心理」で男たちを見ていたんですね。
その後、男たちに攻撃された反動で、衝動的に銃殺し、彼の人生は大きく変わっていきます。
アーサーの頭の中の音楽について
監督のトッド・フィリップスに言わせると「ジョーカーの頭の中にはいつも音楽が流れている」らしいです。
殺した後、トイレに逃げ込んだ時に、一人踊っていましたよね。
彼の脳裏には音楽が流れていたのでしょう。
アーサーの大きなコンプレックスは父親(マレーとウェイン)
そんなアーサーの大きなコンプレックスは「父親」です。
彼は母子家庭であるため、父親がいません。
アーサーにとっては、トーマスウェイン、マレーフランクリンという二人の父親になってほしい人々がいました。
特に、憧れのコメディアン「マレー・フランクリン」(ロバート・デ・ニーロ)のショーに出演した妄想シーンがありましたよね。
ここでかけられる言葉が象徴的です。
アーサーの妄想の中で、マレーは
「すべてを投げ捨てでも、君を息子にしたい」
と語ります。
あこがれの人にそう言われることを望んでいた。
彼の隠れた願望が垣間見えます。
アーサーのコメディアン願望は母親から植え付けられた
ちなみにアーサーの「コメディアンになりたい」という夢は、母親から植え付けられたものです。
こころのどこかで母親を憎んでいた、抑圧されていたと感じていた。
それ故、銃を手にした夜のアーサーは、普段母親が座っている空椅子に銃口をゆっくりと向けたんですね。
この時点で母親を殺したかったわけではなく、彼の「心の叫び」が自然とそんな動作をひきおこしたということ。
「どんなときでも笑顔で人々を楽しませなさい」
「あなたはハッピーよ」
というのがアーサーの人生におおいかぶさっていたんですよね。
アーサーがジョーカーになるシーンと階段
そんなアーサーがジョーカーになったシーンは非常に劇的でした。
映画前半では、帰宅する足取り重く、階段を上る描写は現実の辛さが表現されていました。
そして、そこからジョーカーになって同じ階段を今度は降りてくる演出。
これが非常に分かりやすくも、うまい絵作り。
ジョーカーという悪人になり、彼の脳裏にはまたしても音楽が流れていたのでしょう。
一人で踊るジョーカー。
アーサーはついに自分を取りもどしたのです。
アーサーの自分探しの終焉と自己実現の恐怖
クライマックス、暴徒に担ぎ出されて、タクシーの上で目を覚ましたジョーカー。
彼の悲惨な過去を知っているから、ついつい観客は「ああ、アーサー良かったな」と思ってしまう。
「アーサーの自分探しが完了した」と思ってしまう。
ずっと人々に認められたかったアーサーがついに承認を得たシーンでした。
しかし、これがこの映画の非常に恐ろしいところ。
キリストの復活とジョーカー。
アーサーはタクシーの上で十字架の形で寝そべっていましたね。
そこからの復活ということで、明らかなアンチクライスト。
キリストに対する悪魔、サタンの誕生を明らかに意図した絵でしたね。
彼自身が「他の人はどうでもよいから、自分らしくあれよ」という悪の誘惑にいざなわれてジョーカーになった。
そしてその悪の思想、悪魔の誘惑をする側になり、市民たちはピエロのお面をかぶって暴徒とかした。
この誘惑が恐ろしい。
言ってしまえば、
「自分らしくなってしまえば、楽になるよ」
「自分の悪の部分を認めて解放すれば、本当の自分が見つかるよ」
というメッセージがいつの間にか観客にまで届いてしまう映画なんですよね。
アーサーには笑いのセンスがない
アーサーには笑いのセンスが一切ないんですよね。
他の人の笑うポイントが分からない。
コメディーショーにいっても「なるほど、これで人は笑うのか」とメモしています。
銃をくれた同僚が、小人病の同僚をからかったときにも、「あ、ここ笑うところなのか、ジョークなのか」と愛想笑いをする。
そして、皆の前から出たら「スッ」と真顔になってましたね。
アーサーにとっての笑いとは?
そんなアーサーにとっての笑いとはなんだったのか?
動物としての「自分は仲間だよ、攻撃しないでよ」という意味で、人に攻撃された時についつい笑うことってありますよね?
あの笑いは「自分を守る防衛反応」がひきおこす笑いなんですよね。
アーサーの場合も「絶対に笑ってはいけない」というストレスを和らげるため、自然に笑いが出てくる。
さらには、自分を攻撃しないでよ、という一種の防衛本能でもある。
アーサーはジョーカーになり笑う側に変わっていく
そしてその笑いはジョーカーになることで、変化していきます。
アーサーはジョーカーになり、笑われる側から、笑う側に変わっていったんですね。
「攻撃される側」から「攻撃する側」になった。
社会でタブーとされていることにふれる笑い。
「こんなひどい状況、報われない世界、悲惨な毎日、笑っちまうしか無いよな」とでも言うような笑い。
ジョーカーの「ジョーク」「笑い」がこうして生まれたのです。
映画ジョーカーの感想(ネタバレあり)
最後に感想は3つです。
バットマンシリーズとして良い映画
1つ目は、バットマンシリーズにとって面白い映画だった。
バットマンこと「ブルース・ウェイン」少年の両親が殺されたのかが、この映画で描かれましたね。
バットマンがめざまるキッカケだった日は、ジョーカーが現れた日だったというのは、バットマン史として考えると非常に面白い。
さらには、二人が異母兄弟だった可能性があるというのも、面白い。
自分の中のジョーカーに気付かされる
2つ目は、自分の中のジョーカー性ですね。
こんな悲劇的な状況だと、悪になってしまうのも仕方ないかもとついつい思ってしまいます。
社会的に弱い人間、辛い目にあっている人は、一歩間違えるとジョーカーのようになる。
周囲の苦しんでいる人にも優しくありたいと思いましたし、自分の中のそういう弱い部分に気をつけなきゃと感じましたね。
悲劇と喜劇
3つ目は「悲劇と喜劇」について。
もともとハングオーバーシリーズというコメディをとっていたトッド・フィリップス監督は
インタビューでこんな事を言っています。
「この映画で表現しようとしたことは、ホアキンの台詞が物語っている。『人生は悲劇だと思ってた。だが、いまわかった、僕の人生は喜劇だ』と」
「コメディ映画を多く作り、コミック作品の仕事もたくさんしてきたなかで僕自身が受け取った言葉でもあり、それを本作でも少し探求したいと思った」。
これは、チャップリンの「人生は近くで見れば悲劇、遠くから見ると喜劇」という名言に強く影響を受けていますよね。
映画途中もでチャップリンのモダンタイムズという映画が流れていました。
この映画は、産業革命が起きて、人々は分業制で働くことになった時代を描いています。
9歳の子供も働いていましたし、今のように週40時間労働ではなく、1日14時間労働が普通だった時代です。
資本家の奴隷として、ラインの一部で働く労働者が狂っていく映画です。
これをチャップリンはコメディとして描いているんですね。
で、そんな映画を、外で苦しむ市民を無視して、貴族たちが笑っているという。
すごい皮肉ですよね。
最終的にジョーカーは「悲劇と思っていた人生を、喜劇として捉える」ことにしました。
しかし、そんな風に思ってしまうジョーカーの人生は更に遠くから見ると、やはり「悲劇」に思えるんです。
この辺りが面白い作りですね。
ちなみにジョーカーの語った「良いジョークを思いついたよ」とか「どこまでが妄想だったのか」「映画の結末はなんだったのか」についてはまた別の記事にて語っています。
映画『ジョーカー』はどこまでアーサーの妄想か考察した【ネタバレ】
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