こんにちは、タキ(@kaisetsuya)です。
今回は、映画「ジョーカー」の主人公アーサー妄想について解説します。
- 映画ジョーカーではどこまでが妄想だったのか?
- 最後の「良いジョークを思いついた」の意味はなにか?
- 結末が映画としてどんな意味を持つのか?
について話していきます。
ネタバレありですのでご注意ください。
目次
映画『ジョーカー』はどこまでアーサーの妄想か考察【ネタバレ】
まずジョーカーの世界では、
- 確実に妄想なもの、妄想度100%の事象
- 妄想ではなさそうな出来事、妄想度が0~5%くらいの事象
- 妄想か妄想じゃないか受け手の判断に委ねられる事象
の3種類に分けられると思います。
ジョーカー内で妄想度が100%の出来事は2つ
1つ目がマレーに呼ばれたコメディーショーのシーンです。
主人公アーサーが母親と一緒にマレーのコメディーショーを見ている時に、アーサーが出演し、マレーに舞台上に呼び出されます。
そこでマレーは「すべてを投げ捨ててでも君を息子にしたい」という発言をします。
これは当然ながら妄想です。
父親不在のアーサーにとっての理想の父親像の象徴、願望でしかありません。
次にアーサーと同じマンションに住む憧れの女性ソフィーとの関係も妄想でした。
彼がストーカーして、ソフィーの職場に行ったこと、その夜にソフィーから「今日尾行していたでしょ」と言われたところまでは真実だと思います。
しかし、アーサーが証券マン3人を銃殺した日の夜に結ばれたシーン以降は全て妄想。
彼女と付き合ってはいなかったことが、映像で明らかになります。
ジョーカー内で妄想度が限りなくゼロの出来事まとめ
妄想ではなく、映画において起こったと思われる出来事をまとめました。
まず、アーサーがマレーのコメディーショーに出演し、銃殺したシーン。
これは、第三者的な視点である、複数のテレビが番組を写している描写があったため、事実と解釈して良いかと。
次に、アーサーの母親ペニーとトーマスウェインの関係ですね。
まず恋愛していたということは確実だと思います。
というのも、トーマスウェイン役のブレット・カレンがインタビューの中で
「アーサーの母親がトーマスの自宅で働いていて、彼女は美しい女性であったため、トーマスは心惹かれて、肉体的な関係をもちました」
と答えているからです。
更に言うと、アーサーがトーマスウェインの家に行った時に、執事が「書類にサインした」という話もしていましたね。
これは、少なくとも「働いていたこと、男女の関係があったこと」を表しています。
その次に、アーサーの母親ペニーが虐待していたこと、アーサーが脳に障害を負ったこと。
これも間違いないと思います。
アーサーが笑ってはいけないときに、笑ってしまうのは母親の虐待のせいだということが、精神病院に行った際の記録から分かります。
そして、この映画におけるもっとも妄想ではなさそうなシーンが、最後の精神病院でのカウンセリングですね。
この作品はメタ的に「映画全体が嘘、ジョーク」という見方も出来ます。
そうだった場合でも、ジョーカーが精神病院にいるシーンは間違いなく映画内、物語内では現実ですね。
ジョーカー内で妄想か真実か不明な出来事まとめ
続いて、妄想度が50%、というか、真実とも妄想ともとれる出来事についてまとめました。
まず、アーサーがトーマスウェインの子どもであるかどうかについて。
映画内の描写では「アーサーの母親ペニーは精神病であったため、アーサーがトーマスウェインの子どもであるのは妄想」と見るのが正しそうです。
「アーサーは養子」という記述もありましたしね。
しかし、実はペニーとトーマス・ウェインの子どもである可能性も捨てきれません。
トーマスウェインを演じるブレット・カレンはインタビューで「私の考えでは、トーマス・ウェインが意図的に彼女をアーカム精神病院に送り込んだと思う」と言っています。
トーマスウェインの息子はバットマンですよね。
バットマンとジョーカー、二人は異母兄弟であり、狂った悪、狂った正義が、同じ父親から生まれていると考えるのは、妄想としては楽しいです。
ここは正直結論は出ないし、出さない方が「バットマンシリーズを楽しむこと」につながるかな、と思います。
次に「Love Your Smile. TW」と裏側に書かれた、若い頃のアーサー母親ペニーの写真ですね。
二人が恋仲だったことは間違いないはずですが、この裏側の記述自体はかなり疑問です。
もはやジョーカーとなって狂った後のアーサーが見たものなので、信頼できない語り部の妄想なのではないか、という気もします。
その他、スタンダップショーで受けたことも、アーサーのジョークセンスから考えて、妄想な可能性もあります。
最後に暴徒に担ぎ上げられて英雄扱いされたのも、実は怪しい。
これって、非常にジョーカーに都合が良い場面なんですよね。
アーサーが大衆に受け入れられているシーンというのは、かなり怪しい。
ジョーカー自身の妄想であり、願望であると考えて映画を見ても成立すると思います。
そして、一番の謎は「最後のセリフ」ですね。
ジョーカーの「良いジョークを思いついた」とアーカム州立病院の壁
精神病棟でカウンセラーと話すジョーカーは、
- 「良いジョークを思いついた」
- 「どんなジョークかって?」
- 「君には分からないさ」
と語ります。
ここで我々視聴者は思うわけです。
「映画そのものが巨大なジョークであり、ジョーカーの妄想だったのではないか?」と。
映画ジョーカー冒頭のフラッシュバックでは壁の色は白
映画冒頭で「前に一回病院に入っていた」とアーサーがカウンセラーに語るシーンがあります。
この時実は「白い壁のフラッシュバック」が一瞬写るんですよね。
そして最後に映画最後にいる場所の壁も白。
映画中盤の壁の色は黄色
映画中盤で、自身の出生の秘密を探るため、アーサーはアーカム州立病院に向かいます。
このときは壁の色が黄色なんですよね。
ということで、中盤で描かれた壁の色が黄色なのはおかしい、やはり全てジョーカーの妄想なんじゃないか、という気もします。
ジョーカーは毎回言うことが違う(ダークナイトでも)
そもそも、ジョーカーというのは毎回言うことが違う人、信頼できない語り部なんですよね。
映画ダークナイトでは、自身の顔の傷について語るシーンが何度かあるのですが、毎回「理由」が違うんですよ。
父親にやられたとか、妻のために自分でやったとか。
なのでそもそものジョーカーというキャラクタ性を考えると、
今回の映画も「どれが真実で、どれが妄想か」が曖昧なこと、
それ自体が正解な気がします。
ちなみに、監督自身も「何が真実で、何が妄想か」は観客の受け取り方に任せる、と言っています。
映画ジョーカーの結末の意味は?妄想と現実が曖昧で起きる3つの効果
では、なぜ映画ジョーカーはこんな結末にしたのか?
3つの理由があると思います。
1.「バットマンシリーズ」の奥行きが深くなる
1つ目は「バットマンシリーズ」という枠の中で作品を成立させるため。
シリーズとしてみると、ジョーカーの神秘性、何者かわからない感じが保たれますよね。
また「ジョーカーが実はトーマスウェインの息子で、バットマンと兄弟だった可能性がある」というのはシリーズに奥行きを与える非常に面白い演出です。
2.商業的な理由。興行成績のため
2つ目の理由は、商業的な問題です。
結局「ジョーカーとは、どんな映画だったんだ、何が真実だ」と論争が巻き起こり、話題になりますよね。
そして「もう一回確認したい、見に行きたい」となるため、売上も増えるはずです。
ということで、映画の興行収益を上げるのに一役買っています。
3.観客のため
最後の理由としては、観客のためですね。
この映画を見ていると、否応なしにアーサーという青年の人生に感情移入してしまいます。
冒頭からして、Tears of a crown(ピエロの涙)を流し、さらには子どもたちにいじめられ、同僚にも馬鹿にされますからね。
そんな彼が、ジョーカーになり、自分を開放し踊る姿、最後にパトカーの上でキリストよろしく復活する姿を見ると、
「アーサー良かったなあ」と思ってしまうじゃないですか。
そんな風に、いつの間にかアーサーの立場に視点が移ってしまう。
しかし最後に
- 「全部妄想かもよ」という話
- 「コメディーショーのように、看護師とおいかけっこするシーン」
が挟まれます
これによって、はしごを外されたように、我々観客は現実に戻ることが出来るんですよね。
そして、我々は改めて考えます。
あれはアーサーの妄想だったのか、それとも現実だったのか。
アーサーのしたことは善ではないにしても、悪と断言してよいものだったのか。
そもそもチャップリンが「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇だ」と言ったように、これは悲劇とよべるものだったのか。
これは抽象化して言うと「価値観を固定化せずに見る」ということですよね。
これこそがこの映画の価値であり、スゴいところかな、と。
つまり、自分の中に残り続ける映画となる。
そんな映画体験こそがこの映画が狙ったものの一つだと思います。
まとめ:映画ジョーカーは謎だからこそ成立する
以上で、映画ジョーカーの妄想と結末に関する解説を終わります。
映画ジョーカーは2度見る価値がある作品ですので、「どこまでが妄想だったのか」に着目して見てみると良いと思います。
見る方法を色々と探しましたが、今だとU-NEXT
の無料体験で見るのが一番良いですよ。
以上、ジョーカーに関する解説でした。
By タキ(@kaisetsuya)