【進撃の巨人】アニメ93話「長い夢」考察・感想【ファイナルシーズン4期34話 | 完結編後編】

歴代の“継承者”たちがパラディ島勢力に加勢し、アルミンは無事に生還を果たした。自ら姿を現したジークはリヴァイの手でその首をはねられ、世界を焼け野原にしてきた地鳴らしがついに止まる。しかし、アルミンの“超大型巨人”の爆発をもってしても首謀者であるエレンが死ぬことはなかった。地鳴らしの中心となっていた“終尾の巨人”の残骸からムカデ状の巨大生物が出現。終わらない惨劇に終止符を打つためにアルミンとミカサはエレンの元へと急ぐ。
https://shingeki.tv/final/story/#/episode/93

ジーク対リヴァイの結末

ジークの心の変化

アニメ53話「完全試合」で調査兵団を投石で殺したジークは、リヴァイから命を狙われます。そんなジークがリヴァイの前に出て自ら命を絶つ。この行動の裏にはジーク自身の心の変化がありました。

そもそもジークはクサヴァーさんと約束した安楽死計画の実現を原動力にしていましたが、その願いは果たされず生きる意味を見失います。しかしアルミンとの対話で人生の意味を確認し「また生まれてもいいかな」と考えを改めます。安楽死計画と逆に自身と他者の「生」を肯定したのです。

またジークは幼少期から父親のグリシャに復権派の使命を課せられていました。グリシャの期待に応えられず、親の愛を感じずに育っていました。しかしアニメ79話「未来の記憶」のグリシャの記憶ツアー内で、グリシャからの謝罪と抱擁で、親の愛を感じます。この経験もジークの心の変化に繋がる出来事だったのでしょう。「エレンを止める」ために身を差し出して、リヴァイに斬らせたのも、グリシャの願い通りです。

死ぬ直前にジークが空を見上げて「いい天気じゃないか…もっと早くそう思えたら…」と呟くところは感動的でした。アニメでは現実をしっかり目に焼き付けてから目を閉じる様子が描かれていて、ジークの気持ちが伝わります。

リヴァイの視点

リヴァイはジークを探す中で、アニメ53話「完全試合」のエルヴィンとの約束を思い出します。木箱に座るエルヴィンとその表情のアップの後、アルミンの顔のアップが対比的に映し出されて「同じ目をしたあいつ(アルミン)に未来を託す」という言葉に繋がります。

そして遂にジークを斬ります。自ら切られることを選んだジークを目にして、なんともいえない表情を浮かべるリヴァイ。憎しみや復讐という言葉だけでは片付けられない、複雑な幕切れでした。

リヴァイは他者の死と一番深く関わる人物と言えます。兵士の死を看取るだけでなく、死ぬ決断をしたハンジやエルヴィンの背中を押してきました。そして、ジークを斬ることもジーク自身の選択の後押しといえます。なんと辛い役割でしょう。

死と生

王家の血を引くジークが死んだことで地鳴らしの命令が停止。世界の人々は生き残り、赤子リレーの赤ちゃんの命も救われました。さらにヒストリアの出産シーン(生)も、死と対比的に描かれます。戦いが一段落して死の気配が去り、希望へと雰囲気が変わっていきます(が、最後に巨人化の絶望が待っている辺りが進撃の巨人らしいところです)。

エレンを倒す覚悟

ジャンがエレンを爆破

ジャンは常にみんなが言いたくないことを言い、やりたくないことを実行する役目です。ファルコ巨人の上で行われた作戦会議では、みんなが避けていた「エレンを殺そう」と言う言葉をハッキリ口にします。ミカサの目を見られない、というのも切ないです。

エレンを殺す覚悟を決めて「この…死に急ぎクソバカ野郎がああああ!!」と裏返る声をあげながら起爆装置を押します。感情が生々しく伝わってくる演技が痺れます。

※ジャンがエレンを仕留めるのに使った起爆装置は、アニメ85話「裏切り者」でパラディ島から持ってきたものです。

アルミンが超大型巨人化

引用:TVアニメ「進撃の巨人」The Final Season完結編(後編)

アルミンもまた覚悟を決め、エレンを爆破します。

窮地を救ってくれた過去の継承者に感謝を告げ、巨人たちの上に乗るアルミンの姿は格好良い構図なので必見です。

また、ジャンやアルミンたちがエレンを殺す覚悟を決める中、唯一ミカサだけが決断できていない、ということが後の展開に繋がります。

マーレ市民とマーレ軍人

親子の再会

マーレ戦士たちはレベリオ収容区の家族が死んだと諦めていました。しかし、アニの父たちの誘導でスラトア要塞へ避難したことで、家族は無事でした。再会を喜ぶシーンは感動的でした。

ちなみにアニメの78話「兄と弟」で、ファルコの兄コルトは、ファルコの巨人化で死亡しています。この事実をファルコは両親と会って告げたと思われます。

マーレ人とエルディア人の和解

スラトア要塞に逃げてきたエルディア人と、ミュラー長官率いるマーレ人は対立していました。しかし地鳴らし停止後は手を取り合い、衛生兵は人種関係なく手当を行っています。ミュラー長官の演説や、ライナーたちマーレ戦士の命をかけた活躍が影響して、人種の違いによるわだかまりは解消されたように思えました(ただし最後のミュラーたちの恐れを思うと、真の意味での問題解決には至っていなかったのだと最終話の展開でわかります)

光るムカデの逆襲

光るムカデのガスで巨人化

光るムカデは約2000年前に始祖ユミルに巨人の力をもたらした有機生物の起源ともいわれる生物です。ジャンの爆破によってエレンの首が落ちて、その姿を表します。漫画では分からなかったですが、ガビが言う通り「光る」ムカデだと、青く光る様子からわかります。

エレンを倒して一安心と思いきや、光るムカデの反撃によって、エルディア人が巨人化。作者が信じられなくなる展開です。光るムカデのガスに、ラガコ村の被害者であるコニーはいち早く気づきます。一方、マーレ戦士たちはその現実を受け入れたくありません。いつも冷静なピークですら「そんなのあんまりだよ」と取り乱していましたし、少女ガビは理解ができていないような呆然とした表情を浮かべます。ファルコも巨人となり泣き声をあげていました。

ジャンとコニー

残されたジャンとコニーは逃げることができず、巨人化を受け入れます。ジャンは「それが調査兵団の最期ってヤツだからな」と語り、コニーは「…まったくお前のせいなんだぞ?」「俺たちが人類を救う羽目になったのは…」と応えます。

2人の会話の元となったのはアニメの16話「今、何をすべきか」で、ジャンが骨の燃えカスを片手に調査兵団入りを宣言した場面です。兵団入りを迷うコニーは、この時のジャンの言葉に影響を受けて調査兵団入りします。

このシーンはアニメならではの発見もありました。漫画ではわかりませんでしたが、ジャンの「後のことは仲間に託す」の言い方は、できることは全てやりきった人間ならではの清々しい声色でした。また、漫画では2人の顔を映していますが、アニメでは肩を組み合って後ろ姿だけを映している表現でした。

ミカサとエレンの「道」

山小屋

ミカサとエレンの山小屋の世界は「道」であると思います。アニメ87話「人類の夜明け」の調査兵団のマーレ遠征の時にエレンが「ミカサ俺はお前のなんだ」と問うとミカサは「あなたは家族」と言っていたシーンがあります。もしも、あの時に違う答えを言っていたら…とミカサは後悔しています。別の選択を考えた時の「IF世界」が「道」で描かれいているということです。エレンは「あと4年の余生を静かに生きよう2人で」と言っていました。すべてを放り出して逃げてきた2人。マーレの戦争が終わって2ヶ月、パラディ島の侵略戦争が始まり、仲間たちは困難な状況でしょう。ヒストリアの犠牲を選択することも大虐殺を実行することもできなかった別のルートの話です。

二人が過ごした時間は幻に見せかけた現実でもあります。別の見方をすれば二人の願望が生み出した時間と空間と捉えることもできます。

ネームによるとこのシーンはスイスの山小屋をイメージして描いたと諫山先生が言っていました。マーレのさらに南に逃げてきた2人ということでしょう。進撃世界は現実とは逆転した世界で描かれていますし、スイスは逆から読んでもスイスという時点で特殊な場所にも感じます。アニメオリジナルの演出ではエレンが魚を釣ってきていて自給自足している様子も描かれました。

エレンの呼び出し

ミカサは最終局面でもエレンを殺すことをためらっています。エレンは自分を殺させて、始祖ユミルが成仏する未来のために「道」の世界に呼び出したのです。なぜこのタイミングかと言うと、アッカーマンには記憶改ざんが効かないからです。

ウーリ・レイスの始祖の力もケニー・アッカーマンには通用しませんでした。

一方でアッカーマンもユミルの民なので「道」に呼び出すこと自体は可能です。この辺りを考えるとミカサも記憶改ざんが効かないのでこのタイミングで呼び出されたのだと思います。

「道」と現実世界の対比

ミカサは激しい頭痛とともに「帰りたい…私達の家に…帰りたい…」と言います。

この時の赤い現実の空と「道」の青空が対比的に描かれます。今回のアニメにおいて真っ青な空をあえて取っておいたのだと思います。このシーンはコントラストが効いていてアニメならではの素晴らしい表現でした。

ミカサの視点

エレンとミカサの最後の会話はアニメの73話「暴悪」です。それはエレンの「お前が大嫌いだった」というものでした。ミカサはエレンを愛しているので「大嫌い」と言われたまま別れることなんてできません。エレンの「オレはお前のなんだ?」という問いかけに対して、ミカサはあの時に違う返答をしていれば結果は違ったかもしれない、という心残りの解消をしたのです。

エレンから「道」に呼ばれて、一緒に過ごしたミカサはエレンは自分を選んでくれたと思えたでしょう。「道」で過ごした時間があるということは、エレンは自分を愛してくれていたと確信できます。エレンの愛を感じることができた愛の成就の場面です。恋愛映画であればここで二人は結ばれてめでたしとなる展開です。しかし、ストーリーは「進撃の巨人」なので「道」の世界にずっと留まることはできないのが現実です。マフラーを捨ててくれというエレンの願いも受け入れがたいものです。

エレンの視点

アニメ83話「矜持」でエレンはマフラー泥棒ことルイーゼに伝言を頼みます。それはミカサへ「マフラーは捨ててほしい」というものです。エレンはミカサへの願いとして自分のことを忘れて幸せになって欲しいという思いがあります。記憶改ざんもアッカーマンには無効なので、ミカサに自分を忘れさせることはできません。そもそも、エレンはできたとしてもやらないでしょう。

時間が迫ってくるとエレンの巨人化の跡が出て、現実と「道」が交差して別れの時間が来てしまいます。漫画では鳥の姿がありましたがアニメでは鳥の影になっています。先ほどの現実の鳥の影(ファルコの影)とリンクします。これは現実と道が重なってきている、という描写でしょう。

エレンとミカサがいる場所については漫画では全景が描かれていませんでした。アニメでは石垣で囲まれており、ある意味では「壁の中」の世界を彷彿とします。「壁のない世界」を良しとした場合に、この「道」の世界に居続けるのはダメなのではないか、と思わされます。

「マフラーは捨ててくれ」の意味

エレンはミカサのことを幼少期に自分が助けたせいで自分に囚われているとも思っていました。マフラーもその囚われた者としての象徴です。

エレンは自分は死ぬこと・巨人の力が消えること・ミカサ達が生き残ること、これらを知っているので「自分に囚われずに生きてくれ」という思いでマフラーを捨ててくれ、と頼んだのです。

アニメ79話「未来の記憶」では幼少期の時間に移動した青年エレンが何か考えありげに幼少期の自分とミカサと見ています。幼少期のミカサを強盗から助けて、エレンがマフラーを巻いてあげた場面です。ミカサにマフラーを巻いたことを後悔しているのかもしれません。

エレンはミカサが自分に好意を持っていることを理解しつつも、自分のことを嫌いになって欲しいと思っています。どうせ自分は死んでしまうし、生き延びたとしても地鳴らしをした人物として世界の敵となるでしょう。

一方でミカサを大切に思うからこそ、地鳴らしを選択したのも確かです。エレンは自分についてきて欲しくないと思っている。しかし、それをミカサに正直に伝えたらついてくるということもエレンは分かっています。エレンはミカサにマフラーを巻いたことを自分に縛られていることの象徴と感じているのかもしれません。だからこそ、マフラーは捨ててくれと言ったのだと思います。

漫画第1話の伏線回収

アニメ1話「二千年後の君へ」では漫画1話(同タイトル)でミカサの「いってらっしゃい エレン」の場面は描かれず、アニメ88話「地鳴らし」で登場します。

右が88話「地鳴らし」左が93話「長い夢」の画像で比較します。この辺りの描写は完全に重ねて描かれています。

①夢・記憶

引用:アニメ「進撃の巨人」88話・93話

エレンが夢・記憶「短い髪のミカサ」を見る、ミカサが夢・記憶「長い髪のエレン」を見る。

②起きる

引用:アニメ「進撃の巨人」88話・93話

夢から目覚めたエレンとミカサは「長い夢を見てた」と言います。漫画1話「二千年後の君へ」では目覚めたエレンがミカサに対して「髪が伸びてないか?」と問いかけますが、アニメではそのセリフはカットされます。その代わりに「なんで…ここに?」と発言します。

③「現実」と「道」

引用:アニメ「進撃の巨人」88話・93話

エレンは現実の長い髪のミカサを見る、一方でミカサは「道」の短い髪のエレンを見ています。

④涙を流す

引用:アニメ「進撃の巨人」88話・93話

88話でエレンが泣いている理由は最終話の一連の流れ、つまりミカサに首を斬られる未来を見ている涙でしょう。93話でミカサが泣いている理由は現実で行われている天と地の戦いの苦しみや現実から逃避した罪悪感からくる涙でしょう。

マルチエンディングの漫画化

諫山先生が影響を受けた作品として「マブラヴ(オルタネイティヴ)」を挙げています。選択肢の分岐によってエンディングが変わる「マルチエンディング」のシステムです。諫山先生は漫画でこの表現をされています。

「オレはお前の何だ?」で選択肢が出るイメージです。選択肢として②パターンあったとして、①「家族」②「大事な人」でそれぞれエンドが変わる。それ以前の選択肢としてヒストリアの犠牲ルートも考えられます。

①「家族」True END→地鳴らし

②「大事な人」Good END→山小屋の余生

③それ以前の分岐 Bad END→ヒストリア犠牲ルート

というように様々な分岐が用意されているイメージです。その中でエレンは巨人が消える未来に向かって動いていましたが、「IF世界」を体感させてくれるストーリーになっていました。

それが単なる都合の良い妄想ではなく、物語の本筋であるミカサの決断に意味を持たせているのも深い表現です。ゲームでもGood Endを見てからじゃないとTrue Endを見られないというものもあります。ゲーム的なストーリー体験を表現する発想がすごいです。

配信サイトで視聴可能なコンテンツで「放送版」と「各話版」があります。こちらでも異なるエンディングが演出されています。こちらの記事で詳しく説明しています。

ミカサの最後の戦い

エレンを止める覚悟

ミカサの決断はユミルの選択ともつながるものでしょう。愛とは相手の言いなりになることでもなければ、相手が生きてさえいればいい、ということでもない。相手の人生や罪の責任も背負って相手の奥底にある願いを汲むことであると考えた上での選択でしょう。

ミカサはエレンとの関係を結び直す如く、マフラーを取り出してしっかりと結びます。これは愛の形の再定義を意味しているのでしょう。これができたのは「道」での二人の時間によりエレンの愛を感じたからです。ミカサは愛するエレンを殺す覚悟を自分自身で選択します。ミカサにとって最後の通過儀礼が始まるのです。

ミカサとエレンのやりとりは進撃の巨人のガイドブックANSWERSの中でも諫山先生がこのように言っています。

ミカサの成長は、エレンと袂を分かつことやもしれないですね。

別れることで、幼い頃のような普通の少女に戻れるというか…。

(中略)ミカサはエレンと一緒にいるだけでは可哀想だと思ってしまうんえす。

でもミカサにとっては、エレンとずっと一緒にいることが幸せなのかもしれない。

ぜひガイドブックを読んでみてください。

ほかにもインタビューではこのように答えています。

(ミカサが両親を亡くして)一旦真っさらの状態になって、無邪気な少女ではいられなくなった。

そんな時にエレンという新たな価値観を見つけて雛鳥が親鳥を慕うようにエレンについていくことを決めたのです。

ミカサにとってはエレンの命令がある意味すべて正しく、エレンを守るために生きていました。だからこそ、その執着を乗り越えることがミカサの選択として重要だったのです。

エレンの居場所を知るミカサ

「巨人の力が消える」と知っていたミカサは「道」でエレンの居場所も聞いていたのでしょう。アルミンが「道」にいて「なぜか皆の様子が分かる」ようにミカサも「道」と現実の世界でリンクしている部分があったのだと思います。

マフラーを巻くミカサ

「ごめん、できない」の場面は漫画ではミカサが座ってマフラーを取り出す姿が正面から描かれます。一方で、アニメではミカサが立って取り出す後ろ姿に変更されました。決意の目は漫画同様ですが、頬の傷がより強調されているのも印象的です。

全員の最後の戦い

マーレの戦士

ライナーたちはエレンを殺すために巨人化した仲間たちを止めようとします。状況としてはガビ、ジャン、コニー、アニの父親たちがみんな「無垢の巨人」になります。それを止めるために知性巨人を持っているメンバーは対抗します。アニメオリジナルの矢が刺さったライナーが「絶対にここは…通さねぇ!」というシーンも素晴らしくて痺れました。「無垢の巨人」になってしまったジャン、コニー、ガビやライナーの母親たち。顔で本人と分かるというのが精神的に辛いです。

エレンVSアルミン

アルミンの超大型巨人はエレンの終尾の巨人・超大型巨人Ver.とバトルします。

93話「長い夢」の現在公開可能な情報に「終尾の巨人・超大型巨人Ver.」が追記されました。エレンが超大型巨人に変身します。その大きさは超大型巨人と同等のサイズであることから約体高60mだと思われます。対等な大きさでアルミンとエレンが戦います。

アッカーマンの2人

リヴァイとミカサはアッカーマンなので巨人化しません。ファルコに乗ってエレンを止めに行こうとしています。しかし、リヴァイの体はボロボロなのでまともに戦えるのはミカサだけという状況に追い込まれています。

一致団結してエレンの口の中へ

アニメ22話「敗者達」の女型の巨人戦ではリヴァイがミカサに指示をしていました。今回、人類最強のリヴァイがサポートに回るというのが女型の巨人戦からのミカサの成長を感じさせます。漫画だと痛みに耐えてがんばって動いている、という印象だったリヴァイですが、アニメでは違いました。今回のアニメーションで一番すごいアクションシーンだったと感じます。リヴァイが命を賭して最後の力を振り絞り雷槍を放つ。そして、ミカサはリヴァイがこじ開けると信頼して全力で動き突き進む。素晴らしいアニメーションでした。

エレンの死

アニメ78話「兄と弟」でもエレンの首がはねられました。この時に目が動く様子や記憶が見える様子から事切れる直前のエレンには意識があったようにも見えます。

ミカサに首を斬られる瞬間、エレンは伏し目がちです。しかし、首を完全に切られた瞬間にエレンの瞳にミカサが映る様子が明確に追加されています。エレンが最期に見た光景は愛するミカサであることが分かる悲しくも感動的な演出でした。ミカサの表情もなんともいえない感情が溢れています。そして「道」のエレンと現実の生首エレンの2つの世界が重なりミカサとキスをします。その光景を後光がさす中、始祖ユミルが見ている。そんな神秘的なシーンでした。

「いってらっしゃい」の意味

安心の象徴としての「家」

ミカサはエレンがそばにいることを求めていました。訓練兵時代からミカサは「エレンはわたしといないと早死する」と言って一緒に調査兵団に入りました。そして、度々さらわれるエレンに対して「帰ってきて」ということを言います。

そして、ミカサは「家」を大事にしていることも分かります。

アニメ6話「少女が見た世界」でミカサが強盗に襲われた時にエレンが掛けた言葉は「戦え」でした。そして、両親が殺されひとりになったミカサに対してエレンは「オレたちの家に帰ろう」というのです。ミカサは安心した表情で涙を浮かべます。その時にミカサはエレンにマフラーを巻いてもらい「あったかい」と言うのです。

「家・家族」を思わせる描写

アニメ65話「戦鎚の巨人」でレベリオ襲撃時、エレンに再会したミカサは「お願い帰ってきて」とも言います。アニメ67話「凶弾」で戦闘に勝利した後、ミカサは「じゃあ帰ろう私達の家に」と言います。アニメ21話「鉄槌」では「いかないで」と言います。

愛はある意味、執着と考えられる面もあります。「帰ってきて」ということばは「家」に帰ってきてということを表していて「安全・安心」な「家族」の居場所とも捉えられます。

執着からの解放

愛の象徴である「家」から送り出す「いってらっしゃい」とは使命と運命に囚われたエレンを解放するための言葉であると思います。または死ぬことを意味する「逝ってらっしゃい」でもあるかもしれません。

それは「さようなら」ではない。ミカサの心のなかにエレンは生きていて、帰るべき二人の場所は「道」で過ごした山小屋であるということです。二人の居場所は永遠に思い出の中にあるからこそミカサは「いってらっしゃい」と言えたのでしょう。