目次
映画『リビング・デッド サバイバー』のあらすじ
リビングデッドという名前の通り、ゾンビもの。
ジャケットに出ている「アクション」と「ヒロイン」はほぼほぼ関係ない。主人公の孤独についての映画。
主人公は20代の男性サム。彼は、元彼女の家を訪れる。パーティーする人々を尻目に、人の輪に入れない。このシーンからして、彼の内向性が垣間見える。
サムはなぜわざわざパーティーに来たのか?「カセットテープ」を取りに来た。元彼女に聞いてほしくてカセットテープを渡した。しかし彼女は、外交的な性格で、パーティーに夢中。まともにカセットテープを聞かない。
サムが渡したカセットテープは、部屋の奥でぞんざいに扱われていた。ショックを受けたサムは、慣れない酒を飲み、そのまま寝てしまう。
そして次の日の朝、世界中の人はゾンビになっていた。
ゾンビものがはじまった!!
…と思いきや、全然彼がゾンビ映画らしいことをしない。外に出て助けを求めにも行かないし、ゾンビの謎を解決するための旅もしない。
そう、彼は内向的なのだ。アパートに引きこもり、好きなカセットテープを聞きながら、そこでサバイバルを始める。
映画『リビング・デッド サバイバー』の感想・考察
もっとも静かなゾンビ映画
普通のゾンビ映画と違って、アパートで一人静かに暮らそうとする。この点が画期的。
この映画では終始、対話するべき誰かがいないまま物語が進む。破滅した世界に一人で生き残る葛藤、内なる対話。アイアムレジェントも似たような一人サバイバルものだったが、あちらのような陽気さはない。淡々と流れる日常と、彼の生活の工夫を見守る映画になっている。斬新。
サバイバル描写の面白さ。
大きなアパートで、人々は離散し、彼一人。それぞれの部屋にある食料を確保し、生活に便利そうなものやら、孤独を紛らわせるための楽器やらを手に入れる。
そして居を構えるのは、お金持ちの元医者の部屋。本当に破滅した世界か?と思えるような立地な生活を送るサム。葉巻を吸うシーンが良い。ゾンビ映画定番の「破滅した世界での好き勝手に出来るワクワク感」がしっかり描かれている。
音の演出の素晴らしさ
特徴的なのが「音」の演出。ずっと彼一人の世界を描き続ける。ゾンビの物音こそすれど人が生きている「生活音」はしない世界。
そんな中で、彼が鳴らす音が「彼の孤独さ」「感情の高まり」を表現する。
息抜きに鳴らす爆音。肉体を使って奏でるドラムのビート。
彼はたしかに「生きている」。そう感じさせる演出がうまかった。
見ていて、子供の頃「おばけなんてないさ」と歌って、怖さを紛らわしたことを思い出す。「ゾンビに囲まれても怖くないさ」「おれはやっていけるさ」と言うような哀愁と、ちょっとした強がりがそこにはある。
孤独と向き合うことの困難さ
人付き合いが苦手な彼は、外に出ていかず、孤独な生活を選んだ。当初はうまくいったように見えたそれは、徐々に精神を蝕む。
人は、孤独に慣れない。人は、刺激がない状況に耐えられない。
リアルなサバイバル環境で、人間の性が浮き彫りになる。
ゾンビ化した老人に話しかけるし、危険を顧みず猫を助けようとする。そして、極めつけは後半に出てくる「ある女性」(パッケージの女性)とのエピソード。
ゾンビ映画で今まで投げかけられてこなかったテーマ
「生きる算段がついたら、どうやって孤独と暇を紛らわせるか?」
という残酷な問題に彼は向き合わざるを得なくなる。
この領域に踏み込んだだけでも、この映画は価値があると思う。
内なる自分との対話
人と会話せずにいたサム。世界の変化にも我関せずで、アパートに閉じこもる日々を過ごす。そんな彼に大きな変化が訪れるのは、かなり後半だった。
そこで描かれているのは「内なる自分」との対話。
Aを選ぶのか、Bを選ぶのか。深層心理で交わされる自問自答。
「A leap of Faith」。信念に伴って飛ぶことができるのか?
映画『リビング・デッド サバイバー』ネタバレ結末と感想
以下、ネタバレ。
サムは女性を銃殺してしまった。その罪悪感と悲しみから、彼は幻想を見ていた。「彼女が外の世界に行こうとする姿」は彼の妄想だった。
しかしそれは単なる妄想ではない。サムにとっての「自問自答」でもあったのだ。つまり、女性の言葉は、彼が深層心理で感じていたものだった。
「このままだと、未来は無いのでは?」
「外の世界に行くべきでは?」
というのは彼が彼自身に投げかけた質問だったのだ。
そして、彼は物語の最後に飛びだつ。跳躍。最後に彼の目に映ったのは、引きこもっている時には見えなかった広い景色(窓から見えていた世界と対比)
サムは「ゾンビ世界」という通過儀礼を経て、世界と向き合う人間に成長したことが示されている。
U-NEXT
で期間限定で無料で見られます。